秀吉は怒った。 | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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1582年、

九州のキリシタン大名大友、大村、有馬の名代として、

13歳から14歳の4名の少年達が苦労を重ねながらヨーロッパに渡り

ローマ教皇に謁見した。

 

この天正少年使節団の次の報告はその切実な思いが

伝わってくる。

 

行く先々で日本女性がどこまで行ってもたくさん目につく。

ヨーロッパ各地で50万人という。

肌白くみめよき日本の娘たちが秘所丸出しにつながれ、もてあそばれ、

奴隷として転売されていくのを正視できない。

鉄のたがをはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う

徒への憤りも、元々なれど、白人文明でありながら、

なぜ同じ人間を奴隷にいたす。

ポルトガル人の教会や師父が硝石と交換し、インドや

アフリカまで売っている。

 

秀吉の朝鮮出兵に同行した者の見聞録に、

 キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに

女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、

女たちが泣き叫び、わめくさま地獄のごとし。

 

織田信長の後を継いだ豊臣秀吉はこのような状況を見て危機感

を覚え、バテレン追放令を出す。

特に人身売買の話を聞いて激怒したという。

 

4人のスペイン人、ポルトガル人とメキシコ人の各一人

を含む合計26人のキリスト教徒が、秀吉に命じられ、

長崎で貼り付けの刑に処せられ、他の多くの宣教師たちが

本国に帰って行った。

 

通常、このような事態は今までは植民地化の

最大のチャンスである。

刃向かう者を皆殺しにせよという聖書の教えを実行して

多くの植民地を手に入れてきた。

北アメリカ、南アメリカ、そしてアジア各国。

 

だが多くは弓矢と銃砲との戦いであり勝負にならない。

少数の船と兵隊でヨーロッパ各国の軍隊が勝利してきた。

 

しかし日本は織田信長以来、戦国大名は皆大量の鉄砲を

持ち屈強な武将や武士たちが数多く存在していた。

宣教師たちの報告で日本の状況を知った本国は

軍隊を送っても勝利は難しいと判断した模様である。

 

大航海時代こうして日本は植民地化を逃れることができた。

=これは長い間続いた人種戦争の物語である=