昭和58年(1983年)
僕は38歳。
7月、任天堂からファミリーコンピューターが
発売された。
その後、ファミコンブームが来て、僕の店も
参入していく。
人気の新しいソフトが出るときには
5個くらいの入荷なのに50人も100人も子供や大人が並んだ。
なんとしても手に入れたい子供は大人を動かす。
警察署長や校長先生からなんとか頼むといわれて
僕は困ったものである。
任天堂はたちまち世界的なメーカーになり
巨額な利益を計上した。
だが今、ファミコンはスマホに負けて
任天堂も大変である。
時代の技術革新(イノベーション)は変化が激しく、
スマホもいつまでも王者であり続けるかわからない。
日本の家電メーカーが苦戦になり、
韓国のサムスンが世界一になった。
だがこれもまた、怪しい雲行きになってきた。
韓国のサムスンはすべて日本の技術の導入で
のし上がってきたので、日立などのように長い開発の歴史がないので
重電には移行できないと、サムスンの創業者が語っている。
会社とは技術革新の洗礼やバブルの誘惑などに
勝って生き残らなければならない。
バブルの波が日本にひたひたとやってくる
時代であった。