その後
修行を続けるうちに言われた言葉。
日本のために尽くすんですよ。
自分さておき他人(ひと)さんへ。
これにはずいぶん抵抗を感じた。
自分が助かっていないのに他人を
助けることができるのか。
だがこの道は奥が深かった。
自分にできる範囲でさせていただく。
例えば、道端にゴミが一つ落ちていて拾うこと。
これで日本のためになるし、他人(ひと)さんへ
貢献していることになる。
そしてちょっぴりたましいが磨かれる。
先日、高崎高島屋の前を歩いていたら、ビニールのゴミが
風邪で飛んできた。
僕は迷ってしまった。
両手が荷物で埋まっていたのでつい
通り過ぎてしまった。
いつもなら拾うのに僕としたことが。
これの結果、たましいが汚れることになる。
その場合どうしたらよいか。
ごめんなさいと自分の奥に向かってお詫びする。
こんな修行をしながら、
事業のほうは好転していった。
昭和57年(1982年)バブルが始まる
前夜のことであった。