『平安人の心で
「源氏物語」を読む』
山本淳子 著
朝日新聞出版 2014年刊
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/007.png)
![てへぺろ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/019.png)
とっても面白い本でした
「あとがき」によるとこの本は、2021年~2013年にかけて刊行された『週刊 絵巻で楽しむ源氏物語五十四帖』総計60号に連載された『御簾の内がたり』を核にしているそうです。
書き下ろしの自著でなく他誌への連載だと、簡略に書かれたイメージがありますが、こちらについてはまったくそうではなく。
最後のほうに載せられている「参考文献」は5ページにわたり、書籍や論文がずらり100以上?
ちゃんと数えられないくらいたくさん載っていて
各帖ごとに書かれている、わずか3ページの考察に、これら100近い文献が間違いなく参照されていることがわかる、とても濃い内容の本です。
この100近い文献は、主だったもの、だそうですから
学者さんって、スゴイ!
今回読んだ後半で、印象に残った部分はたくさんあるのですが。
光源氏の、平安貴族男性の女遊びの実態を示す「召人[めしうど]」についての段が、けっこうショックでした💦
なんせ「あさきゆめみし」しか読んでいないもので
光源氏の、平安貴族男性の、女性に対する愛欲の深さに辟易しましたわ
人権感覚がないとはいえ、人間性を無視した目下の女性に対する態度が酷くて。
あ~もう、今後はうっとりして「あさきゆめみし」を読めないかもしれません
他に
「源氏物語」がどのように現代まで伝わったのか、
書かれている段がありました。
「源氏物語」は一気に発表されたものではないし、作者存命中すら草稿が流出したりしています。
後の世でも、誤写があったり、人気の余り創作されてしまったり、書き換えられてしまったり。
和歌と違い、物語は作者が尊重されていなかったそうで。
(和歌=文学
物語=サブカルチャー)
書き換え御免と考えられていた節さえあるそうです。
そんな物語である「源氏物語」を他の物語と一線を画した存在に押し上げたのが、
藤原俊成&定家の親子だったそうです。
俊成は「源氏物語」を「歌人必読の書」として位置づけていて。
(”源氏見ざる歌よみは遺恨のことなり”)
その父の教えを受け継いだ定家は、自ら「源氏物語」を書き写しており、『青表紙本』という「源氏物語」本文の決定版を作ったそうです。
面白いことに、この定家にはライバルがいて。
同時代の、源光行&親行親子が、やはり「源氏物語」の決定版『河内本』というのを作っているそうです。
『青表紙本』と『河内本』はそれぞれ、その後長い時代の経過の中で、完全には残らず、誤写されたり変化したりしたものが部分的に残り、江戸時代には両系統の流れを汲む『源氏物語湖月抄(北村季吟)』などの、大量生産の印刷本が多くの庶民に読まれるようになったそうです。
そんな状態で明治以降、源氏物語研究に多大な貢献をしたのが、池田亀鑑[きかん]だそうで。
佐渡の旧家から奇跡的に見つかった「浮舟」を除く「源氏物語五十三帖」(『大島本』)を基準として、源氏物語の「校本」を刊行したそうです
校本~基準となる一文を中心に置き、それと違う本文のバリエーションを示したもの
その刊行が戦時下の昭和17年だそうですから
その情熱には頭が下がります。
いま私たちが読むことが出来る、活字版「源氏物語」の本文は、ほとんどがこの『大島本』によっているそうですよ
『平家物語』も数多くの異本があって。
それが何故なのか、その経緯について書かれたものを読んだことがあり、その時も思いましたが。
まず伝わっている文献が、どのような経緯をたどって現在の状態にあるのか。
正しく考察しないと、中身の分析は出来ないのだな、とつくづく思います。
残された文献・史料が少なく、状態も様々ななか、活字化してくださった先人たちの苦労も知らず、ただ平易な書き直し文を読んで、素人がわかったようなことを言ってはいけないな、と思いました
まぁ、つい言っちゃいますけどね
以上、
感想の抜粋でした。
今後も研究されている諸先生方に敬意を払って、歴史本その他を楽しみたいと思います。
お読みいただき
ありがとうございました。