こんばんは!れんしゅう大好き!だよーん
昨日ってばThe 4100D マウンテントレイル in 野沢温泉のレースだったんだよね、
私のはじめてのトレランレース、それがThe4100D。
それって去年のこと。
温泉街を走れるレースなんだよ
ほんとに過酷だった。
体感的には距離の長いKAIよりひどかった。
ほとんどレース経験ないのに参加したトレランレース。
最低で最低で地獄で、でも最高なファーストレースだった。
出来ればまた走りたいよ。
最低なレースだったのにね。不思議だな。
以前のブログにあげた、野沢温泉のトレランの記録をここに転載します。
すごく辛かった様子が伝わると思います
だってさ、今ならもっとましな走りができるんじゃないかって思うんだよね。
そういう謎の自信はある。
当時のレースの様子、昔のブログから拾い上げました。
良かったら読んでください!
私の初戦トレランレース!
🙇♀️🙇♀️🙇♀️
以下、2024年7月の日記です
日曜日にトレラン大会に参加してきた。ほぼ最下位、でも完走した。できた。
大雨だった。レインウェア無意味なほど大雨。
山道が川になってた。
滝から岩は落ちてくるし、
雨だし、止まると寒くて命の危険があるから一人でなんとか走り続けなきゃなんないし。
尻餅ついたり泥を掴んだりすごく怖い思いをしたりしてるうちに感情が削り取られて無になって、最後には「無事、みんなのところに帰る」って希望だけが残りました。パンドラの箱みたい。
自然って人間に都合よく出来てないし、自然との共存なんて奢りも甚だしい。
そんな謙虚な気持ちを抱かせるには十分に過酷なレースだった。
日曜日
5時起床。隊長兄弟は67kmに参加するので見送り。
沿道で応援できるチャンスがあったので声掛け。
そのあと8時すぎにスタート地点へ移動。
9時スタート。太鼓がテンションあげてくれる。
ロングレースだから体力を気にして心拍数を気にして走る。
180超えたら歩いて170前後にまで落とす。
水と塩、塩は30分に1回水。そういう作戦。
街から山に入った途端、一気に淡々とした林道に突入。
微妙な坂道が延々と続き、スピード上げて無くても心拍数あがる。
抜きつ抜かれつの感じが楽しくて笑顔で会釈したり余裕かましてたらどんどんコースが険しくなっていく。
沢を渡る道ですらすでに怖い。
トラバースっぽいぬかるみが怖い。
すげー怖いところで怖い怖い言ってたら「リラックスー!」とか言ってもらえて助かった。
レース中なのに情けない人だよね。
ズルンズルンのぬかるみに足をズボッとしたり、尻餅をついた瞬間からもうどうにでもなれって気持ちになり、汚れることを気にしなくなった。泥に手をつくことも全然嫌ではなくなった。
滝エリアで落石。
結構大きな石で、音がすごかった。選手皆で「ラク!ラーク!!」と叫ぶ。怖い。
第一セクション最初から雨が降り出し、レインウェア出すタイミングがわからなくてずぶ濡れ。
早々にリタイアしたい気になる。頂上で寒くなり始めてレインウェア着用。
エイドステーションでおにぎりとバナナとあんこパイ食べる
なんとなく元気が出たのでまた走り始めた。
下りは鬼で、さらなるズブズブの土。滑って尻餅をついてさらにいろんなことがどうでもよくなる。
雨だし。心の中から感情がなくなっていくのが自分でもわかった。無になっていく感覚。
いたるところで悲鳴があがる。
とにかく雨なのだ。走る元気はないわけではないけど、下りで爪が痛くて走れない。
私の練習なんてたかがしれてるんだと痛感させられた。
走っている最中、景色をみる余裕がなかった。
記憶では雲がもくもくしてた。雨。霧。泥。それだけ。
とはいえ、体力的な余裕は感じていた。自分やるやん!と、それだけで気持ちが少しあがる。
第一セクション、関門しまる15分前に通過。ギリギリだ。
余裕なく水を補給してすぐに第2セクション14kmのコースへ出発。休む暇なし。
最下位に近いのわかってたから、むしろ最下位狙いでいきたいと思った。
雨が全ての難易度をあげる。
つうかもうこれ走るとか関係なくないか?単なるサバイバルレースだよね。そんなことを思う。
最下位に近いから一人で走る瞬間が結構長くあった。冷静になると怖くなるから前だけ向くようにした。
もし、今この瞬間に大怪我したり立ち往生したらもう目も当てられない。雨で、身をかくすような場所もない。誰も私が今、ここにいることを知らないだろう。助けが来るまでかなりの時間がかかるだろう。ストップすると低体温症で倒れるはずだ。
だから前進するしか選択肢はない。
リタイアするにもリタイアエリアまで自力で進むしかない。
やがて、怪我なくそして風邪をひかないことが目標になりはじめる。
職場の皆さんの顔や激励の言葉が胸に浮かぶ。絶対に帰るんだ。希望を胸に前へ進む。
雨。大雨。
サロモンのレインウェアグスグスになって重くなった。
「奥宮まで700メートル」の標識がかえって心を抉る。雨と疲れで足元がふらつく。
限界だと思って、鼓舞する意味で羊羹食べる。頭がシャキッとなる。ドラッグだ!
やがていつピークを迎えたかわからないけど、そのまま下りはじめた。
下りの頃になると雨が激しさを増し、道が川になってた。濁流、階段は滝。そして続く雨。
それでも前進するしかない。
濁流、どこまでいくんだー!と思ったら途中でクランクしてあらぬ方向へ流れていった。助かった。
かなり降りたところに車のライト。スタッフの姿に安心する。ゴールまであと4キロあるという。キロ6分で走ってもゴール締め切り時間ギリギリだぞ!となり、走り出した。自分にそんな力が残っていたことが驚きだった。
走った先にペアの人がいた。人の姿をみて心から安堵した。
会場の屋根が見えて心から安堵する。
そしてゴール。
関門締め切りまで残り10分というところだった。
ゴールするところくらい写真で撮ろうと思ってわざわざスマホ出したのに映ってなかった。
ゴールエリアは大雨のため、エイドもショップもあらかた撤退で閑散としていた。
ボロボロの脚
止まった瞬間濡れ身体が冷えはじめる。
テントエリアに入り、男性がいたけれどなりふりかまっていられないので、Tシャツトとベースウェアを脱ぎブラ一丁になり身体を拭いて防寒(長袖)衣に着がえる。それでもまだ寒く、エマージェンシーブランケットにくるまった。
こうして私のレースは終わった。
宿にもどり、靴脱いだら足がブヨブヨにふやけていた。泥水の中を歩き続けていたからだ。爪もブカブカに浮いて変な感じになってた。
宿で同宿の男性が怪我をして縫ったときいた。
仲間たちが夜8時、10時と64㎞レースから戻ってきた。
みんな、気持ちが悪くなって吐いたという。
誰もが無傷ではいられないレースなのだった。
あまりにもタフで過酷だったから、感情がはぎとられて未だにこの体験がなんだったのか捉えられない。言葉がみつからないのだ。
ただ、あまりにも極限状態にあったせいかせいか、生還した今、ありとあらゆるものに感謝の気持ちがわいているのは確か。
あれから1年たちました。
少しは強くなってるんじゃないかってそう思いたい。
ではね!
れんしゅう大好き!でした