評論の腕前に定評のある高山京子さんが

鈴木奥さん、詩村あかねさんとともに

私の詩「じろうさん」を取り上げてくださっています

高村京子さんはつい先日初詩集「reborn」を上梓したばかり

次号から『凪』に参加して詩作品とともに評論でも

その腕前を披露してくださるでしょう

とても楽しみです!

 

 

 

鈴木奥さんは体調を崩していらっしゃたこともあり

いつも楽しみにしていた「奥の細道」は今号はおやすみ

暑い季節ですからおうちの中でゆっくり休んでいただきたいです

詩村さんの詩は、私も今号が届いたときに椿美砂子さんの作品とともに

一番最初にじっくり読んだ作品です

高山さんも書いておられますが、

声を出して読むことを前提に書かれた詩は

おのずと文字と紙だけで広まる詩とはちがいますね

リズムが、声がきこえてきます

音楽のように

きっと原初ことばはそういうものだったのでしょうね

私たちの先祖は声を出して響きやリズムで

あそんでいたにちがいありません

 

さて私の作品「じろうさん」に関して高山さんは

 

すべてひらがなで書かれたこの詩は、園さんの詩の大きな特徴でもある

土俗的な世界観が、さらに地の奥深くにある口承文芸的なもの、

つまり音だけで構成される次元にまで踏み込んで表現されている。

たとえば以下の部分など、思わず声をひそめてしまうような、

ひんやりとした風が吹き抜けるような感じがする。

「わたしがみずをくんでいると たけやぶのなかからあらわれて 

おけをさらって すたすた いえまではこんでくれた ひだりめは わたしを

みぎめは とおくとおく うしろのほうをみていた くろいめなのに あおかった」。

園さんは、原初の世界と現代世界を、複眼で見ている。

 

と書いてくださいました

自分で計算しているわけではないのですが

文字の奥にあるもの、さらに風も体感していただいて

詩を書く者としてうれしい限りです

「原初の世界と現代世界を、複眼で見ている」

この点は私も強く訴えたいことでもあります

この足は現代の私から離れることはないのです

懐古主義ではないのです

そこを分かっていただいてうれしいです

 

今号は家族関係や病、死に関する作品が多かったように思います

お盆に近いからかもしれませんね

書いて提出したときは各々そんなつもりなくても

何かの計らいでお盆にむかって集団意識がはたらいたのかもしれないですね

それからひらがなの詩が多かったです

これはどうしてかな?

今号もますます力がはいっています!

お手元にとどくといいな