椿美砂子さんの第一詩集『青売り』は

ちょうど冬へ向かうころの

漂白されたような空の青だった

読者と一対一の緊張感を保ちながら

こちらをじっと見つめて

ご自身ひとりで手当をしてきた痛みを

語りかけてくれていた

それに対して第二詩集の『青の引力』では

とんでもない人類愛が文字からにじみ出る

丸い地球を丸いと知らずに泳いでいたころの

あの海の青だ

 

詩集 青売り

 

読むだけで他の読者と一体になって

青のプリズムが照射するパラレルワールドに

私たちを連れて行ってくれる

読み手を最初から完全に包括して書かれている

 

椿さんの『青の引力』には読解不可能な表現が一つもない

それなのに全く見たことのない世界に連れて行ってくれる

これはすごいことですよね

現代の私たちの世界では、境界線を作りがちだ

詩人として「立つ」(キャラが立つ、目立つ)ためにも

何者かになるために

他といかに差異をつけるかということに

いつの間にか熱中してしまいがちだ

私たちは何者かになりたい動物なのである

とくに21世紀になってからそれが加速しているように思う

マウントする、されるということが頻繁に取りざたされるのも

この風潮の醜い産物であるように思う

豊かな暮らしをしているはずの現代人の根源にある

幼児的な承認欲求にたいして

そんなふうでなくても大丈夫なのよ

と「同じ位置に降りて」語りかける

穏やかな海

私はそれを感じた

 

そして、このなめらかさは何だろう

誠実、という言葉しか見当たらないのだけど

(文筆においてなめらかさと誠実さは

あまり同居できないと私は思っている)

誠実といっても真面目というわけではなく

あちこちでいたずらや色っぽい話が挿入されている。

誠実な恋バナ。

バツ6の神さまとなにやら恋のさや当てをしていたりするのだが

そんな軽妙さを散りばめながら、

世の中の全てを見切った(見限った、ではなく)天女さまが

まろやかな海に浮かぶ水平線の先へと

今にも帰っていってしまいそうになる

俗世という浜辺と青い水平線のあいだで泳ぐ天女さまの

ふわふわとたなびく衣の裾を、ぎゅっとにぎって

行かないで、と胸に押し当てる

そんな詩集だった

 

椿さんの『青の引力』はこちら