「人形(ひとがた)ながし」が

『詩と思想』2023年9月号で入選をいただきました

以下全文です

 

 

 

 

 


(

人形(ひとがた)ながし

 

       園 イオ

 

わたしの夫はよい夫

目は切れ長で 歯は白い

今日は良い日だから

髪をふっくらと結い上げ

絹の着物をきせてあげる 

はぁっと息をふきかけてから

ふところに抱き

山百合が茂る白い寝床で一緒に眠る

 

雨があがるころ

赤ちゃんみたいにだっこして

ぴろぴろ鳴く椋鳥や

合歓の花たちに見せびらかして歩く

湯浴みのあと夕化粧を施し

幾度も幾度も口づけをする

 

わがまま言って手に余るようになったら

明星(あかほし)が消える前にこっそり家を抜け出し

井戸にとぷんと投げてしまおう

空がすっかり青い目を覚ますころには

蜘蛛の巣のように根を張る水脈(みお)をくぎり

山神の祠の下に流れつくだろう

冷たい池のその底で

色とりどりの男たちが折り重なり

目をいっぱいに見開いて

生まれ変わるときを待っている

 

銀の鏡を酢漿草(かたばみ)で磨いたあと

ほっと目の前に置く

ふくらんでいく梅の実を映し

淡い日影色のそのまた奥から

ほろほろと鈴が鳴るように

私の名を呼ぶのが聞こえる

二の腕に打ち寄せる秋波には

気づかないふりをして

小走りに取りに行く小さな針箱

さて今度のはどんな顔にしようか

里芋の葉にころがる露を集めて墨を磨り

目鼻を描いたあと

ちょっと迷って口無にした

 

 

 

今回は男を手玉にとる

ちょっと怖い女を主人公にしてみました

むかし桃の節句には人形を憂いを託し

川に流す風習だったと読んでそこにヒントを得ました

 

 

選者の清岳さんの評は以下のとおりです

 

 

 

「わたしの夫はよい夫」の出だし、「わたしの

人形はよい人形」という童謡、あるい

は、ホラー漫画のタイトルが思い浮か

びました。何事ならむ、とびくびくし

ながら読み始めました

 まず、椋鳥や誰かさんの呼び声の擬

音が目を惹きます。夫をだっこして「合

歓の花たちに見せびらかして歩く」の

一行も魅力的です。はてに、「井戸に

とぷんと投げてしまおう」なんて、い

よいよイオさん劇場も佳境に入りま

す。もうここまで誘惑されてしまった

ら、この魔境から抜け出すのは至難の

業でしょう。与謝野晶子氏の「鎌倉や

御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏

木立ちかな」や「下京や紅屋が門をくぐ

りたる男かはゆし春の夜の月」等々の

世界に導かれてしまったのですから。

そして「里芋の葉にころがる露」で「墨

を磨り」なんて古式(?)ゆかしく、

と思っていたら「口無に」してしまう

なんて、私にもこんな魔性が身につい

ていたら、どんなにか人生楽しかった

ろうと。詩の展開、構成、申し分あり

ません。

 あえて言うなら、色彩に関する注意

が充分であればと思いました。絵を描

くか、今も描いている方でしょうか、

さまざまの色が出てきます。豪華絢爛

というわけではありませんが、本詩篇

は音も個性的ですので、焦点が散逸す

る恐れがあります。まして、「山百合

が茂る白い寝床」の箇所、山百合は植

物名として在る、もともとかおり高い

大輪の白なので言わずもがなかなと。こ

こでは、鬼百合、姫百合、笹百合など

の総称として山百合が置かれているの

ではないようなので、いかがでしょ

う?

 

 

長い論評を頂きとってもうれしかったです

あの与謝野晶子さんを引き合いに出してくださるなんて

光栄の極みです

愛を力強く謳う晶子さん

あこがれの人です

私の物語詩は祖母の母の時代を念頭においているので

空気感が重なるのかもしれませんね

 

言葉について

この「人形ながし」は意識して詩的表現を盛り込みました

なので選者の清岳さんには情報過多とうつったのでしょうね

筋書きに加えて、小道具が多かった上に

音や色もふんだんに盛り込みました

雅な感じにしてみたのです

 

「山百合の寝床」も最後まで迷っていたのです

または鬼百合、姫百合にしようかとも

最終的に「山百合」と「白い寝床」という言葉を

入れることにこだわってしまいました

迷っているところは詩の先輩たちにも

合評会でも一発で見破られてしまうのですよね

文字と人の心は不思議なつながりがあります

未来の詩集にいれるときには

「山百合の寝床」にしようとおもいます

 

この詩は詩友たちからの評判もいいので

あとはどの程度盛るか、の調整ですね

入れようとおもえばいくらでも入ってしまうので

前の選者の尾世川さんがおっしゃっていたように

単語に頼りすぎるのもいけませんね

自分なりのバランスを保ちながら

やはり読者の目になって読むことが必要ですね

自分の内面や目に見えたものに忠実であろうとするあまり

すごく常套な表現に落ち着いてしまったり

読者の目を忘れてしまったりすることがあるので

気を付けないといけないですね

 

今月出した詩はおさえぎみにしてみました

井戸や灯台

くりかえし現れるテーマです

さてどうでしょうか