The birth of our baby 出産 | IORI handmade 旅と絵

IORI handmade 旅と絵

美大院卒→フィレンツェ留学→世界一周→結婚→出産→子育て 旅の絵を描いています。InstagramとYou TubeチャンネルもIORI handmadeです。
女1人で世界一周をして50ヵ国以上周りました。今は家族でバックパッカー。


合言葉は「爆発」

 
 
※読んでて気分悪くなると思いますので、アレだったらスルーして下さい。
 
 
【前兆】
  • 40週1日目。予定日超過の内診グリグリで子宮口1.5cm開大。出血。
  • 40週4日目。グリグリで2cm開大。出血。定期的な張りを繰り返すも継続せず。
  • 41週0日目。本気グリグリ2cm。出血。赤ちゃんはさらに下降。
【分娩第1期  開口】
  • 41週1日目。8時30分。誘発分娩で入院。グリグリ後バルーン挿入。その場で出血。
  • 9時30分。誘発剤の投与開始。すぐ「良い張り」とやらが来る。その後1時間置きに全6錠投与。バラバラの痛みに耐える。
  • 11時20分。不安定な陣痛。
  • 13時。バルーン入れたままグリグリで出血。よく耐えてますねと褒められる。褒められると伸びるタイプ。
  • 16時。MAXグリグリ。陣痛は5分間隔で一旦個室に移る。
  • 20時。陣痛が落ち着き3時間寝る。
  • 翌0時。破水。子宮口3~4cm開大。抗生物質と胃薬投与。
  • 1時。本陣痛始まる。LDR室へ移動。
  • 2時頃。子宮口が5cmから8cmになるまでが早く、バルーンを取る。激痛でお腹と肛門に力が入ってしまうのを制御出来ず発狂する。
  • 3時半。子宮口、全開大。
 
【分娩第2期  娩出】
  • いきみ許可がおりるも、陣痛の波が1分間隔で叫び倒し理性を失う。その後助産師さんに合わせていきみ始める。我が子も外に出たがっていて胎動が陣痛に拍車をかける。
  • 5時頃。陣痛が弱まり、立っていきむ方法に変える。再び陣痛が1分間隔になり、頭が見えてくる。赤ちゃんに産瘤が出来始める。
  • 7時半。立ってるのも体力を消耗し、意識が度々飛ぶ。再びベッドの上。挟まっている我が子の頭を触らせてもらい、朦朧としながら最後の気力を振り絞る。
  • 8時。いつもの先生やら相方やら沢山の人が来て、しれっと会陰切開されるもそれどころじゃない、産みの苦しみ。
  • 8時16分。リモートで深夜から応援中の両親も含め、みんな色々とスタンバイ。私の体力が限界で最後は吸引分娩にて無事3,030gの元気な暴れん坊を出産。
 
【分娩第3期  後産】
  • 8時20分。赤ちゃんを私の胸に乗っけてみんなで記念撮影の嵐。赤ちゃんに負けじと声を上げて号泣したら笑えと言われる笑。
  • 嵐が過ぎ去った後、先生に下腹部を上からグリグリされ胎盤を出してもらう苦痛。その後麻酔をされ、30分ほど切開の縫合と地獄の子宮マッサージ。そこでまさかの「次回は是非当院の無痛分娩で」のPRが入る笑。
  • 9時頃。興味本位で胎盤を持って来てもらう。平均より重いらしく、写真撮って誰にも見せないと誓う。臍帯血はへその緒が細くて取れず。
  • その場で朝ごはんを半分食べた後、出産時に補給し過ぎた水分を尿道からビン2本分出す…。汗だくでその場でお着替え。
  • 1時間ほど爆睡。まさかの小便3本目笑。看護師さんにめっちゃ突っ込まれる笑。昼前。お尻爆発で動けず、時間をかけ辛うじて車椅子で個室に運ばれる。

怖くて調べなかった悪名高いバルーンは、子宮口が2cmくらい開いてると挿入はそこまで痛くなかったです。
 
入れた後、先生に
「お母さんが痛いからという理由で帝王切開にすることは絶対ありません。それはもう頑張ってもらうしかない。」
と、念を押されました。
 
 
 
私の入院後、すぐにオトンが神戸に到着。夕方、相方と両親からのビデオ電話で泣いてしまいました。この時はまだ不安定な陣痛に耐えてました。
 

夜3時間寝てトイレ行こうかと寝返りうったら子宮口でドッヂボールが割れたような強い衝撃を受けて、生理2日目くらいの血の塊がドッと出ました。
 

ナプキンを替えて再びベッドに戻ると、自分の意志とは関係なくダラダラ液体が流れ、トイレで助産師さんを呼び破水だと分かるも、パニックで足が震えました。
 

数分で産褥パットがびしょ濡れになるので、座った状態からどうにも出来ず、ソファーで何となく4分間隔の陣痛が来たと思い助産師さんに連絡。
 

本当なら翌日夕方に出産するはずが、破水も早かったし、子宮口が8cmまで開くのも早かったです。開くまではひたすらオカンにビデオ電話付き合ってもらいました。でも理性が崩壊し発狂し、七転八倒で思わずナースコール。近くの部屋の産婦さんも私と同じように悲鳴を上げてました笑。
 

担当の助産師さんが来てくれて内診。
「すごい8cmまで来てる!私がお産取らせてもらえるわ!ここまでよく頑張ったね!!」
と言われました。陣痛が来ると孤独が耐えられず、いきみ逃しのため、とっさに助産師さんの手を握らせてもらいました。でもどうしてもお腹とお尻に力が入りいきんでしまうのを制御できず、とにかくゆっくり息を吐いてーと言われました。
 

ただ全開大からが長く、バルーンと誘発剤は使ったものの、当初の予定だった促進剤を打たない出産になったため陣痛の間隔が開くようになり、長引いて体力を消耗しました。
 
立ってると陣痛が来る度に膝がガクッと折れ、お股に地球をぶら下げて巨大な重力に引っ張られる感覚になり、腰が砕けました。簡単に言うと人の想像が及ばない、強烈に重い宇宙規模の生理痛です。でも女性なら耐えられます。私は元々痛みに強く、よく冷静でいられますねって言われました(後で出産動画見ても、あれ?ウンチしてる人かなって思いました笑。)
 
それでも外が明るくなり始め、フラフラになりながら、我が子の頭を触らせてもらい
 
この子のママは私だーー!!
 
と復活!
 
最後は頭が出た感覚はありませんでしたが、すぐいきまないで!と言われ、でも力が上手く抜けず、なんとか指示のまま胸に手を置いて「はーー!」と力を抜いたら、ビッグバンの如く胴体がドゥルンと出て来ました。
 

私の胸の上ですぐにアアーーン!!と泣く我が子。目が腫れてしまい、産瘤が出来ていたのが可愛そうで…。
でもすごく元気で暖かい。我を忘れ何度も名前を呼び
「よく頑張ったね!大好きよ!!」
と号泣。
 

夜中から外で待ち続け、理性を無くした私の分娩に立ち会ってくれた彼。こんなに幸せなことはありません。
 
コロナで立ち会いや里帰り出産できないとか色々ありましたが、私にとって信頼を築けた病院というのが大きかったし、今はラインもあります。だからこそ徹夜で付き合ってくれた家族の応援が励みになりました。
 
 
産後の母子手帳を見ると、体重管理も臨月の運動もずっと見てくれてた先生の欄に
「本当によく頑張りましたね!!」って書いてありました!担当助産師さんにも
「ほんまおめでとーー!また部屋に遊びに行くわー!」 って言われて友達かと思いました笑。もう神戸は見知らぬよその地ではありません。一生忘れない人達です。
 
ただ時間だけ見ると6時間56分の安産になるようですが、いやいやその前のグリグリの思い出から入れなさいよ笑!
 
 
これまで世界中で沢山の綺麗な景色を見てきましたが、そのどれにも替えられない最も美しい我が子の光景。
 
取りたてて自慢出来ることもない私のお腹に来てくれた小さな命。
 
世界で一番愛おしい、私達の宝物です。
 
この子のこれからの人生、辛いことも沢山あると思いますが、夫婦仲良く楽しく育てていきます。いつか私達が出会ったヨルダンとイスラエルに家族で行けたらいいな!
 
最初から親になる自信がある人なんていません。泣き虫な私だけど、この子と一緒になら成長出来る気がします。
 
私のお腹をボッコボコに蹴り散らかしてくれた、可愛い天使。
 

私達の元に生まれてくれてありがとう!!
 
ずっとずっとずーーっと大好きだよ☺️💕💕
 
 
アマビエ…笑笑笑。
 
P.S.
私はラッキーなことに後陣痛がなかったので、そこの痛みは全然分かりません。個人差あるみたいです。