2024年 6月のカレンダー | モグ爺こと、くどうあんのなぁ~んてね?!  ぶろぐ(*^_^*)

モグ爺こと、くどうあんのなぁ~んてね?!  ぶろぐ(*^_^*)

長年ソウルナビゲーションと鑑定をさせて頂いております、くどうあんの
自分勝手なぶろぐです。 ツイ忘れてしまっていた気付きと、ホッとできる
話題。 そして、超~頑ななモグ爺の私思の一考を、あくまで自己満足の為に書かせて頂きます。  なぁ~んてね!?

 あらゆるチャンスは、

ただ待つものではなく、

自分で手に入れるものなのかも…!?

 

 なぁ~んて考えるもぐ爺です。

 

 言葉の内容は、5月のカレンダーと大差ないように感じられる方々も居られることとは存じますが、もぐ爺の中では全く異なった真を皆様方に再考して頂きたく、この言葉を選びました。 

 

 先ずは、チャンスを得た先にあるものは充実感や達成感。 使命感や高揚感、等々。 人それぞれに異なるのは当然であり、その先に求めるものもまた異なっていることは紛れもない事実です。 

 

 では、もぐ爺が思うチャンスを得た先にあるものが何なのか…!? 一時なのか…!? 永遠なのか…!? そして、その為に得たいチャンスとは…!?

 

 もぐ爺が、夜も寝ないで昼寝をしながら考えていた時、もぐ爺が望むチャンスの先にあるものは…、チャンスを得たその先に求めるものは…、極論かも知れませんが…、全ては自己満足であるという答えに辿り着きました。 

 

 もぐ爺は、何もかも自己満足を得る為のチャンスを得たいと望んでいることに気付きました。

 

 経済的不安解消も…、社会的地位や成功も…、人としての満足も…、等々も…、達成感や充実感等々も含めて、何もかもが自己満足の範疇でしかありません。

 

  幾らが他人様に認められようが…、賞賛されようが…、自らが満足出来なければ、手にしたチャンスは何の意味も無くなります。

 

 自らが求めていたチャンスと、手にしていたチャンスのギャップに気付けない侭、様々なチャンスを無駄にしてしまったことも何度もあったような気がしています。

 

 そこでもぐ爺は、違う視点でチャンスを考えました。 もぐ爺が思うチャンスとは、例えが適切ではないかも知れませんが、回転ずしの様に目の前を回り続けているのではないかと考えました。

 

 安価な回転寿司は、好き(手頃)なネタ(チャンス)が目の前に来たら手に取り、苦手なネタは見送り、美味しそうだと感じたら手に取って食してみることが可能です。 

 

 見た目以上に美味しいネタもあれば、見掛け倒しのネタもあります。 期待を裏切るネタもあれば、期待以上のネタもあります。 安価ゆえに、様々な挑戦が可能です。

 

 そんな些細な賭けの連続が人生なのかも知れないと、もぐ爺は感じています。 好きなネタばかり食する方も居られれば、苦手なネタにも挑戦される方も居られます。

 

 誰かに薦められたネタに素直に興味を示す方も居られれば、季節ごとに変わるネタを楽しみにされて居られる方もお出でです。 しかし、頑固一徹自分の好きなネタしか食されない方も居られます。 

 

 自分は何が好きで、何が嫌いで、人生で何を求めているのか!? 人はそれぞれ、趣味嗜好も異なれば得手不得手も異なります。 好き嫌いは元より、正誤や是非も人それぞれに異なります。 味の好みさえも異なっています。 と言うことは、目指すところも人それぞれに違って当然です。

 

 自分には、どんなネタが合って居るのか、どんなネタが苦手なのかは、流れ続けている皿(チャンス)を手にして食してみないと判らないことばかりです。

 

 幾ら好きなネタ(チャンス)であっても、時間が経っているであろう姿に、幻滅してしまうこともあるのかも知れません。 それでも、好きなネタだけを食したい方も居られますし、中には新しい皿をオーダーされる方も居られます。

 

 自分が何を求めているのか、どこを目指しているのか、手にしたいチャンスはどんなネタなのか…!? 手に入れたい成功とは…!? 手にしたい満足とは…!?

 

 食す前に、先ず皿を手に取ってみなければ判りません。 その真を、自分が理解できていないと無意味になってしまいます。 そのチャンス(ネタ)を、食してみなければ判りません。

 

 それが人それぞれに望むチャンスの真なのかも知れないともぐ爺は思っています。 先ずはチャンスの乗っている皿を手に取らなければ、何も判断できないのかも知れません。

 

 どんなに好きなネタ(チャンスの皿)でも、どんなに苦手なネタでも、あなたの前を何度も何度も回り続けているチャンスかもしれないと言うことに、今一度気付いて頂ければ幸いです。

 

 あらゆるチャンスは、ただ待つものではなく、自分で手に取ってみるものなのかも知れません。 自分で食してみなければ、何も見付けられないのかも知れません。 

 

 興味を引くネタが回って来たら、先ずは手に取って挑戦してみる勇気を持つべきなのかも知れません。 どんな味なのか興味を抱いてみることも、大事なのかも知れません。

 

 いくら、自分にとって最高だと思えるチャンスでも、食べ過ぎて腹を壊してしまってはどうにもなりません。 回転ずしのネタでは満足できない方々は、高価な寿司を提供してくれるお店で、相応の金額を支払い、満足を得たいと考えることも当然かもしれません。

 

 より良いネタ(チャンス)を求める方は、高額の対価を支払うことも気になりませんし、対価にあった満足が得られれば、それはその方にとっては最高の成功(満足)なのかも知れません。 

 

 安価なネタで満足するのか、満足できるほどのネタ(チャンス)であれば金に糸目を付けない方も居られます。 しかし、そのチャンスが自分の求めるものである可能性は絶対ではありません。 

 

 店主拘りのネタが、必ずしも自分の味覚に合っているとも限りません。 まぁ、ミーハーなみんなや普通の方々は、味覚ではなく視覚や聴覚で味を判断されるようですので、もぐ爺は何も申し上げられません。 

 

 チャンスとは、言い換えれば、一つの賭けなのかもしれません!? 本来、チャンスとはそんなものだともぐ爺は思っています。 生かすも無にするも、全ては自分次第です。 

 

 要は、手にしたチャンスをどう生かすのか…、それ以前に自分は満足したいネタ(チャンス)に見合っただけの努力を尽くしたのか…、そのネタの真を味わえるだけの味覚を磨いて挑戦をしているのか…、金額では測れない何かの真がそこにはあるような気がするもぐ爺です。

 

 そんな偉そうなことを書き込んでいるもぐ爺ですが、この歳になる迄安価な回転ずしだけで満足して生きてきたもぐ爺です。 それでも、それなりの満足を得て、愉しい人生を生きてこれた幸いなもぐ爺です。

 

 まぁ、若い頃は目には見えない何かに急き立てられるように…、一時は高級なお店のカウンターで、贅沢なチャンス(満足)を手にしようとしていた時期もありましたが、残念ながらその対価に見合うだけの資質も努力も不足していたもぐ爺です。 そのチャンス(ネタ)を生かせない侭、老い耄れたもぐ爺です。 

 

 しかし、人並みに高価なチャンスを手にしようとした時期があったことは、未だに良い思い出として記憶に残っていますので、それはそれで良い経験を得る為の一つのチャンスだったのかも知れません。

 

 なぁ~んてね叫び

 

 今月も、長々と戯言を書き込みまして、誠に申し訳ございませんでした。 最近、全国各地で頻発している地震に、物言えぬ不安を覚えるもぐ爺ですが、皆様も普段からの心算を忘れずに、いざと言う時には心身無事を最優先して頂けるよう祈念いたしております。

 

 

 では、また7月のカレンダーでお会いしましょう!