カレーライスに牛乳をかけては台無し
前回、__無駄な悩みとそうでない悩みの見極めはどこでするのか?___そこで終わった。続きを書くけれど先にコタエを述べておこう。「そういった見極めこそを止めること」ここが最も重要なところ。なぜなら「見極める」という行為自体が認識の仕事だからである。_こういった悩みはOK!_こういう悩みはNO!そんな判断を手前勝手にしたところでまったく意味がない。とかくひとは、じぶんにとって「NO!」なデキゴトや感情を排除しようとする傾向がある。この排除が、コト本来の作用をそのままに戴けない、堂々巡りのルートに導いてしまうのである。さて、コタエを冒頭に提示したが、こういったことはコタエを知ったところで何の役にも立たない。これを哲学的な示唆のように受け取ってアタマで紐解こうとしたり、じぶんなりの理解の範疇におさめてしまっては、何にもならないのである。ではどうすればよいのか?どうすれば、エネルギーの漏洩を防ぎ、創造的に使っていけるのか?それには、ただただやってみることである。どんな悩みがわいてこようとわいて来たらそれを仕分けせず、あえてそのままにしておこう。しっかりと自覚を持ってそのコト、そのものに気がついていよう。持ち前の考え方を使ってどうにか整頓することをやめてみよう。そういったことを日常のただ中でやりつづけることである。今回は「悩み」をテーマに話しを進めたがこれは何も悩みに限ったことではない。様々な感情や思い、考え、ふと感じたこと、、、この心身を通して活動しているそういった多彩なコトに対し、これは善いとか悪いとかじぶんで勝手に仕分けせず、【触らないこと】である。先ずは、そういったことに自覚的に居ることが欠かせない。こんなシーンを想像してみてほしい。何の落ち度もない絶妙な仕上がりのカレーライスにわざわざ牛乳をたっぷりかけべしゃべしゃにしては“マズイ、マズイ”と食べてる人を。台無しだと思いません?せっかく幾つものスパイスや具材が多重に作用し、何とも言えないいい香りが食欲をそそっているというのに。。。実はわたしたちも自分自身の取り扱いにおいて同じことをやってしまっているのである。それでも、カレーライスならまだいい。レシピに忠実に再現すれば美味しさを取り戻せるのだし、マズイ食事にあたったところで、誰も絶望しはしないだろう。しかし、人の生というものはそうレシピ通りにはいかない。たとえどんなに似たような「時」を迎えることがあったとしても、まったく同じ作用など一度たりともありはしないのだから。だからこそお決まりの判断を一度リセットし、この自己というものが_いったいどうなっているのか?じぶんで確かめてみる価値が大いにあるのである。応援してあげるよ♪って方は上のバナーをポチッとクリックしていただけるととてもうれしいです♥