Twitterが毎年桜桃忌を教えてくれます🍒

 

 

 

 

桜桃忌の話はこっちにも📄

 

 

 

 

 

私は山ほど小説を読むタイプではないので

たくさんの作品や作家を知らないのだけど

 

 

高校時代に現代国語の選択の授業の課題で

人間失格の主人公 葉蔵と、

雑誌の記者の娘で葉蔵を父のように慕う5歳のシゲ子の

考察を論文で提出したことがあって

(テーマはなんで葉蔵はシゲ子を敵と思ったのか、だったと思う)

 

 

 

 

そこから太宰については少し読んでいる量が多めかなという感じです。

 

 

 

 

 

 

 

桜桃」のお話も好きだけど

」という短編も結構好きです。

 

まあ、夜の話なんですけどね。

題名が朝なところが色っぽいんですよね。

 

 

 

ただ、こんな浮気の話とか家族を愛している話を

が日々大量に書き下ろされて

隣で読んでいた最後の愛人 山崎富栄は

どんな気持ちだったのだろうと思ってしまいます。

 

 

 

 

 

彼女の日記から

いくつもの原稿のサポートしていたことがわかります。

 

 

彼らは1947年(S22)の5月から付き合っているのですが

太宰は短編、随筆含めるとこれくらい書いていて

2年のうちに代表作3作品作るというる必殺仕事人。

 

小説と、下が随筆

(http://ogikubo-bunshi.a.la9.jp/Part2-dazai-sakuhin.htm)

 

 

付き合ってても秘密にされるし

食事の時間はほぼ出版社の人がいるし

太宰は毎晩家族のいる家に帰るし

働いて起業のために貯金してた1000万円越えのお金は太宰に使ってしまったし

戦争未亡人だし

斜陽の太田静子には子供を作って自分の名前をつけたくせに富栄には子供を作ってくれないし

 

 

 

頑張り屋さんの28歳バリキャリ富栄は

仕事もお金もなくなり

きっと苦しかったのだろうなと思います。

 

 

彼女は太宰と会ったその日から日記を書いていたので

このように後世になっても読み深めることができるのですが

(雨の玉川心中)

 

日記は原稿用紙に書かれていることから

これも太宰の指示で行なっていたのではないかと言われています。

 

ただこれを見た妻や娘は

どう思うんだろうと

勝手に永遠と悩める題材です。

 

 

 

「五月十六日

 昨夕、アルバムをみせて頂く。奥様のや、お子様の……。よく覚えておいて、町でお逢いしたとき、そっと避けようと思って――。」

 

 

 

 

 

 

 

自殺の後は、

出版社は大好きだった太宰に

豪華な霊柩車を用意し

太宰は大切に大切に運ばれたのですが

 

 

富栄は置き去りで

彼女に英才教育を施し美容学校の創設者だった父が

彼女を静かに葬りました。

 

 

 

 

 

 

どこにフォーカスして

何を思うかは

年齢とか状況によって変化しますので

 

 

自分の経年変化と共に

太宰とそれに纏わるお話しを愉しみたいと思います。

 

 

 

 

太宰はこちらのエッセイで

もの思う葦」(S10)

 

誤解されてもいいし

つまらないと思われるならそれまでだし

 

数少ない友人にだけ理解してもらえれば

それでいい、みたいなことを書いてて

それもまた富栄にとってかなり酷な思想ですが

 

 

 

確かに正しく読むことも難しいし

正しく伝えることはもっと難しく

 

活字にした時点からもう

違う物質になっていく感じが

いつもあるのですが

 

 

誤解されてもいいと思えているから

たくさんの作品ができるのですねきっと。

 

 

 

 

 

 

そんな晴れた6/19でした。