資料かゴミか | ニコニコノコノコ

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銅版画とアート、街で見つけた面白いコト、猫、占い、夢日記など、愛とクリティックに満ちた個人のブログ。

smile
これ、私が子供の時代から
愛用しているちょっとしたおもちゃの
パッケージ。

子供の頃から、とかくなんでも
「資料」としてとっておく性質。

小学生の頃から「とっておく癖」はあった。

気に入った絵や写真は、
雑誌やチラシから切り取ってとっておく、など。

大人になると、
街にあふれるフリーペーパーなどを
せっせと持ち帰るようになり、
これはいまでも続いている。

広告関係の仕事に就いたせいもあって、
すべてが「資料」に見えてしまう。

実際、そうやってかきあつめたものが、
資料として役に立つ事もあった。

「無駄ではないのだ」

…という経験が、あつめる癖を
継続させる。

昔に比べて現在は、
フリーペーパーも増えたし、
街中「資料」だらけで、
私のような者は、大変である。

まぁ、たいがいは、
ざっとみて、その後捨てるのだが、

溜まっている資料の中から、
「本当に必要な部分」だけを
切り抜いてとっておこう、
などという悪あがきをする傾向にあり、
これがまたやっかいなのであります。

時間と手間がかかるゆえ。

さほどの手間ひまかけるだけのシロモノか?
という問いかけの後に、やっぱり捨てたりする。

そういう局面で判断しないと、
捨てるべきかべきでないか、迷ってとっておく。

だからつまり、捨てるにしても、
とっておくにしても、
一定の手間がかかるわけで、
これはもう気質によるものなのだろうなと。

気質であるから、ある時バッサバッサと
捨てたりしても、また同じような現象を
繰り返すに違いない。

こんな輩は、捨てる訓練をするよりも、
いかにスムーズに資料をサバくか、
ということを鍛錬した方が良いかもしれない。

ファイリングシステムとかね。

そうやってまた棚を太らせてしまう方向に流れる。

いや、今一所懸命捨ててるんだけどね。