母に電話をしてみると「電話しようと思っていた」とのこと。
またもや手術を受けるということだった。
症状については、以前タンゴダンサーも手術したものと同じみたいなので、
そんなに重くはないと判じて、ちょっとホッとする。
鼻の奥にいろいろあるのね。うん。
タンゴダンサーなんざ入院期間を勝手に短縮して病院を脱出してきてたから(笑)!
ひとつの人生において手術する回数の多さでいけば母は相当な猛者かも。
最初は私を産むための帝王切開だったかな?サンキューでっす。
たくましい60代に乾杯。
でも私だって子宮内切迫仮死を生きぬいたんだぜ!生きてて良かった!
おかげで左利きになりました。(難産に多いらしい)
我が母は慢性腎不全が高じて人工透析になって久しい。
その昔、透析になる前は、塩抜きの食事しかとれなかったが、透析になったとたん、
何でも食べられる喜びからかとても貪欲に何でも食べる人に変化した。
食べるスピードも増した。
一瞬、涙もあったが、確実に、たくましくなったね。
そんな人間のたくましさについて、土曜日にみかんさんと語らいながら帰ったのだが、
本当に、人間の生きる強さとか、食べることへの欲とかには、感心する。
「母は強し」なんて言葉があるが、我が母は本当に強いと思う。
強くて助かっている(笑)。
高齢なので、電話では「転ぶんじゃないぞ!」と念を押しておいた。
転んで骨折というのが高齢者の命を縮める一番の要因だからだ。
妹もまた病魔と戦っているひとりだし、父は孤独に宇宙と更新中だし…(苦笑)、
我が家族はサバイバル家族なんだな。私もあまりフツーとは言い難いし。
人とは何か、人とはいかに生きるべきか、死ぬべきか、
常に家族と共にそんなことを考える環境にあるからこそ、より良い生き方を模索するし、
思考も深まるというものである。
それが課題であり命題であるこの生き方に私は満足し感謝している。
あらゆる生命に思いをいたす時がある。
犬、猫、虫、人、全てに。
だからこそ愛しいものもあれば、憎むべきものもある。
それをはっきり確かめながら生きていくことが、毎日を充実させてくれる。
私に余裕があればのほほ~んと生きている人たちの耳元に行ってガンガン鐘を
打ち鳴らしてあげることもできる。
まぁ、余裕なんてそんなにないんだけどね(苦笑)。
でも必要な事は確実に行われる。
そんな確信に到っただけでも、この人生は儲けものなんである。