「ゾディアック 」見てきました。
謎の連続殺人犯ゾディアックを追うというストーリー。
手元にある情報だけでは、絞り込めない。
でも、情報を増やしていってもやっぱり絞り込めない。
むしろ情報が増えるほど関係妄想の世界に迷い込んでしまう。
この状況は、占いに似ていると思う。
占いもまた、月がこの位置にあるからこうなのだ、
現在土星と海王星が向き合っているからこのようなことが起きる、
という過去からの経験や知恵を駆使して情報を構成しなおしては、未来を予想する。
でも、どんなに優秀な占い師でも、
予言と現実が合致しない限りは実証的な科学の前には力を持てない。
そしてまた100%当ててしまうなら、それは占いではないということになる。
答えを求めて、あれこれと手元の状況を組み合わせていくと、
いつの間にか自分の期待通りの答えを導こうとしていることがあるだろう。
答えが欲しいと思えば思うほど客観性を失い、
作為的とも思える構成を始めてしまう。
人間とはそういうものだ。
だから占い師は他人の事は占っても自分のことはあまり占わない。
占い師も人間だからね。
映画の主人公と同じように
「自分だけの確信」にとらわれる人が時々います。
まぁ、占いの平和なところは、90%の確信であっても、
その人にとっては100%の効果を持つことが許されている世界、
という点なので個人的に楽しむ分にはかまいません。
「あなたの前世は中世の騎士です」と言われたとして
100%信じてしまっても罪にはなりません。
むしろそのように言われたことがその人に「気づき」を与えたり
「勇気」を与えたりするかもしれません。
そういう効能が占いの世界にはあります。
問題になるのは、手に入らない10%に妄執する場合です。
占いを信じるのは、かまわないのですが、
「もしかしたらあたらないかもしれない」という可能性を
否定できないのだということを忘れてはいけません。
「前世なんてウソっぱちだよ」という人たちに対して、
自分の信じる前世を証明しようとするのは愚かです。
占いが90%言い当てていたとしても、10%は謎なのです。
未来を100%にしたいなら、自分で考え行動して実現していくしかないわけです。
そしてこの法則は、占いに限ったことではなく、
占いなんか信じない実業家のビジネス計画にだって、
見えない10%はあります。
そこに執着すると、人生を棒に振りますな。
そんなようなことを思いました。
ストーリーの中に、月の満ち欠けやら誕生日やらが出てきたとき、
この映画は、そのへんの事も示唆したいのかもしれない、
と思った次第。
湖畔の殺害シーンはヤバいですね。
トラウマになります。コワイです。
それと気になったのは字幕の誤植。
字幕の誤植って、あまり経験した事がないだけに、
この世界もまたユルユルになってきたのか、とガッカリ。
「込んで来た」とか「切る取る」とか、校正しないんでしょうか?
全体としては面白い映画でした。まぁまぁ。
「ゾディアック」というタイトルではあるけれど、
占星術とは関係がないお話。オカルト色も皆無。
CMの期待感は若干裏切られたかも。
暗号をメイン・イメージにしているので、
もっと暗号に関する神秘的な展開があるのかと期待していたのだけれど、
単にビジュアルとして効果的に使われていただけだったという事を、
映画を見て理解しました。
- 猟奇島
- ¥702
- Amazon.co.jp