シディブサイド伝説、チュニスの夜。 | 添乗員 森田 世界の旅

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1月14日、シディブサイド。

チュニスの北16㌔、シディブサイド。

チュニス湾見渡す丘の上のBonVieuxTempsレストランにて

昼食後、町歩きと行きたいところだが、

ツアーには場所を移し、ShabaaneCafeにてミントティー

タイムとある。

今日は11~16度、曇りとの予報。雨はないが微妙である。

このチュニス湾の最も奥まった場所に紀元前814年

フェニキア人はカルタゴの町を建設する。

そしてその手前にあったこの高台には監視塔及び灯台を

設置する。

シディブサイドと名が付けられるのはずっと後で、

この眺めの良い素敵な場所に、イスラム教神秘主義を唱える

サイードという男が住み着いた。

 

彼の神秘主義に引き付けられた人々は多く、

死後聖者となり霊廟が建てられた。

シディと言うのは

キリスト教で言うセイントで、シディブサイドの町の名は

彼の名前そのものだ。

霊廟は同時にモスクでもある。

地中海一帯は石灰岩の上にあり、大地を掘り起こせば

ゴロゴロ石灰岩の固まりが出てくる、

夏の強い日差し対策に先人は石灰岩を粉にし、それを水で

溶いて暑い夏が始まる前に家の壁に塗った。壁が光を反射

させ室内に涼をもたらした。

国を問わず白壁の家は地中海中に点在するが、

シディブサイドの住人が青い色を付け足した理由は定かで

はない。

 

ところで神秘主義者のサイード氏の正体は、

1270年のフランス王ルイ9世だとの都市伝説がある。

ルイ9世は十字軍の遠征にてこの地に来た15日後に

疫病で死ぬが、

実は生きていて、恋したベルベル人の女性と幸せな

余生を暮らしたのだとか。

ガイドさんにこの話をすると、それはフランス植民地

時代にフランスに親近感を抱かせようとフランスが

勝手に作ったお伽話であると笑われた。

 

その夜、

再びチュニスのメディーナを歩いていた。

夕食レストランへ向かうためだが、夜の雰囲気もまた良い。

オスマン時代の大屋敷を改装したEssarayaレストランで、

ウッドという弦楽器のマールーフ音楽を聴きながら、

牛の煮込みを頂いた。