サンティアゴ巡礼道、サンジャンピエドポール。 | 添乗員 森田 世界の旅

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12月29日、サンジャンピエドポール、

キリスト亡き後、弟子達はその教えを告げるべく

エルサレムを出て各地を布教した、

二人の弟子とともに舟に乗り大陸の一番西まで

来たのがヤコブ。

他の誰とも同じように彼もまた殉教するが、弟子達は

布教の地であるガリシアの草原に師の遺体を埋葬した。

 

時は経ち813年草原に降り注ぐ星に導かれヤコブの遺骸は

発見される。

 

ヤコブ眠るサンティアゴデコンポステーラはエルサレム、

バチカンと共に三大巡礼地となり、

各地からスペイン北西部を目指す巡礼者がやって来た、

その様子はホタテ貝のツガイへ伸びる線の様だった。

どこから歩いても巡礼路だが

時のスペインイベリア半島はイスラム教であったが

北部の海岸線は違ったため、多くはフランスピレネー

を越えて来た。

 

サンジャンピエドポール、人口1500人。

フランスから聖地を目指す場合パリからアルルから大きく

4つの巡礼道があるが、そのうち3つはここで合流する。

巡礼ブーム真っ只中の12世紀、ニーヴ川のほとりに教会が

建ち、13世紀にはその教会を守るべくナバラ王によって

城壁だ建設された。

巡礼者が行き交い体を休めた城壁の中の通り、

巡礼事務所はお休みだった、冬季のピレネー越えは危険を

伴い推奨していないからだ。

城壁が取り巻く巡礼の町、その壁は丘を上り

17世紀建設のシタデル城塞へと伸びている。

バスクも海を離れ、すっかり山バスク、

巡礼者達はここから先スペイン目指してピレネーを越える。

 

僕らは川べりで鴨肉のランチを食べた後、

命を賭けずにバスで山を越える、1000年を越える巡礼道を

時折現代の車道が交差する。

峠の頂き1132mには巡礼者を保護した病院に礼拝堂が

建てられていた、その跡がある、

歩いてきた体でバスを降り、巡礼者と同じ空気と景色を

眺めてみた。聖地はまだ遠く800㌔以上を残している。

 

ではスペインへ戻り中世ナバラ王国の都だった

パンプローナへ向かおう。