セビリアにて、 | 添乗員 森田 世界の旅

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7月9日、正午セビリア。

ヘレスデラフロンテーラを出たご一行はオリーブの

林を抜けアンダルシアの州都セビリアを目指す。

到着後レストランModestoにてタパスを頂き、

お腹いっぱいで表へ出ると、目の前は夾竹桃の花咲く

ムリーリョ公園、灼熱の太陽に世界中の木々が陰を作って

くれている。

そこから始める旧ユダヤ人街サンタクルス地区へ、

ローマからの歴史を持つ町はアラブ社会になってもなお

ユダヤ人は共存し、

1248年にキリスト教の町になっても港湾都市セビリアで

商業的な柱となって共存していたが、

14世紀後半のペストの流行の際菌を撒き散らしたとの

言い掛かりで虐殺が起こる、

そして1492年スペイン王国誕生と共に政策上完全に姿を

消した。

500年以上続いたアラブ時代にセビリアの家家は、初潮を

迎えた女性が肌を隠すように、

家全体も女性を守るべく全て中庭を中心とした外窓のない

内向きの建築だった。

しかしユダヤ人住宅にはそのような宗教観はないため、

外に向けバルコニーや屋上にあずまやを付けたりと、

壁だけのイスラム住宅の中で一際洒落ていた。

ユダヤ人は消されゴーストタウンになった地区、一風変わった

建物に引っ越したのは一風変わった芸術家達、

セビリアの理髪師もカルメンもそれから本家ドンファンも

みんなここで生まれた。

1492年、スペイン王国が誕生しユダヤ人もイスラム教徒も

いなくなったセビリアから、どこの馬の骨かわからぬ男

コロンブスが世界の歴史を大きく変える大航海時代を齎した。

ここセビリアの大聖堂にコロンブスは息子と共に眠るが、

中には入れぬ時間帯だった。

残念明日に持ち越そう、

コロンブスの新大陸発見は世界の歴史を良くも悪くも悪くも

変えたが、その線は日本へと続いた、

1543年に種子島にポルトガル人がやって来て、

1549年にはザビエルが鹿児島で2年間キリスト教を布教して、

その成功をローマへ伝えるため天正の少年使節がリスボン

経由スペインを横断しローマへ行き、

1614年には伊達政宗の命を受け支倉常長ご一行がセビリアに

やって来た。

今回の旅程では、個人的にずっと気になっていた場所を

入れてみた、支倉常長ご一行がセビリア近郊に置いて行った

モノを見に行ってみようと思う。