ヘレスデラフロンテーラ、シェリーとジプシーと馬術。 | 添乗員 森田 世界の旅

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7月9日、ヘレスデラフロンテーラにて。

スペインは17の自治州の下、50の県からなる国。

アンダルシア州は最も多く8つの県を抱えるが、

ここカディス県を観光するのは初めてかも、

カディス県の中心地、ヘレスデラフロンテーラ。

町の中心で車を降りる、ヘレスの名付け親は3000年前の

フェニキア人、後にローマ、そしてアラブ、1264年に

アルフォンソ10世のレコンキスタでカスティーリャ王国の

支配下に。

その際キリスト教とイスラム教の境を指すフロンテーラが

付け足された。

市場があったので立ち寄ってみる、観光客相手でないため

正午にはもう閉店の準備。まだまだショッピングセンターで

なく市場が主役なようだ。

車に乗って予約済みの予定地へ、

大都市の割には町は静かで、広場に座るおじいさん達は

のんびりしている。

3000年前フェニキア人がカディスにブドウ栽培とワインの生産

をもたらす、

2000年前のローマ時代には潅漑整備をしより広大な地での

生産が始まる、

8世紀からアラブの時代になりワイン生産は停滞するも

干しブドウを作るため栽培は続く。

12世紀にフランスワインの味を知ったイングランドは

14世紀のフランスとの100年戦争でワインが飲めなくなると、

ヘレス産ワインに目覚める。

17世紀スペインはスペインの日は沈み衰退を始めるも、

イギリスは蒸気船に乗って大量に買い付けにくるばかりでなく

ヘレスに工場を作り大量生産を可能にした、

そんな産業革命時スペインの経済とは逆行し繁栄をする。

イギリス人が好んだ他とはちょっと違う白ワインは、

発酵途中でブランデーを加えることで発酵を止め、ブドウ

本来の風味を残す、

また白なのにオーク樽に入れ薫りを付けるだけでなく

樽での貯蔵中に栓を抜きわざと空気に触れさせてカビの花を

咲かすのがシェリー酒と言う。

下戸(になりたい)な僕には良くわからないが、うまいらしい。

 

15世紀の終わり頃、インドの北西部を出て300年目の流浪の民は

西にも南にももう陸のないスペイン南部にやって来た。

何でも屋が生業で手先が器用なため流浪中に出会った楽器も

すぐにモノにする器用さからフラメンコが生まれ旅芸者の様にも

思われるが、

彼らジプシーが最も得意とし儲けたのが、職業別馬の調教だった。

安く手に入れた馬をご主人のリクエスト通り立派な調教場にし

大金を手に入れながら流浪していたのだ。

そんな流浪の民が世にも珍しく定住した地に、

王立アンダルシア馬術学校がある。

欧州人特有の固有の文化を大切にする頑固さは、世界遺産の

数に比例するが、その頑固さは多くの戦争も生んだ。

ジプシーは相手に合わせ時に嘘も付ける物腰の柔らかさが

流浪には必要な事を知っていた。

スペインの建国者イサベラ女王はそんな彼らをスパイとし

最後のアラブの牙城アルハンブラを征服する。

スペイン王国樹立後多民族は消えたが、ジプシーは

女王の独断で1492年に永住権を手に入れた。

馬が前後の柵に合わせ廻るメリーゴーランド、

選ばれし牛も大変だ。

イサベラ女王の二女、カルロス5世の母ファーナはハプスブルク

に嫁ぐ際、モンセラートの少年合唱団とアンダルシアの馬術を

ウィーン伝えた。

ウィーンのど真ん中の王宮で毎晩披露される馬術はもちろん

ここでも毎日披露されるが、現在はバケーション期間のため

見ることは出来なかった。

それはツアー前から知っていたことだったけど、上記の事を

知るためにここに来た。

 

馬術は見られなかったけど、馬がスキップしたり

ムーンウォークしたり欽ちゃん走りしたりするここの卒業生

の演技を昨日の闘牛場で見たばかりだったので、

それで良しとしよう。