フランス、ルーアンのジャンヌダルク。 | 添乗員 森田 世界の旅

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ハネムーン

5月9日、午後ルーアン。

ジベルニーを出て68㌔、セーヌ川(780㌔)沿いに下って

いくと、

ノルマンディー地域圏の首府、人口11万人のルーアンに着く。

セーヌ川と共にローマ時代からの歴史を持つルーアンの町を

少し歩く。

大聖堂の周辺には特に古い木組みの家家が並び、

地上階の商店には多く焼き物が目に付く。

大聖堂に行く前に気になる教会があった、サンマクルー教会、

15世紀のゴシックに施されたフランボワイヤン様式の

燃え上がる炎をイメージした透かし彫りのファサードが

美しい、

案内しながら見とれてしまったが、写真は上手く撮れなかった。

フランボワイヤンをこちらで。1063年以降改修を繰り返し

百年戦争(1337~1453年)が終結した15世紀終わりに

ゴシックが充実したルーアン大聖堂に施された緻密な透かしと

石像達、

19世紀に取り付けられた塔の高さはフランス一の152m、

モネが見とれてしまったのが頷ける美しさだ。

モネの様に沢山の絵を撮りたかったがスミマセン以上です。

ゴシック=13世紀から15世紀、ゴシック=ステンドグラス、

内部はゴシックらしく高い柱が天井を支え、薄くなった壁

には一面ステンドグラスが嵌められている、

フランボワイヤンなバラ窓、そして1920年に聖人となった

ジャンヌダルクがステンドグラスに描かれ、彼女の石像の

建つ礼拝堂があった。

旧市街広場に面し、

ジャンヌダルク教会、1977年頃の建築はモダンだ。

ノルマンディー地域だけにバイキング船を模ったのかな、

内部の天井はやはりバイキング船だろう。

フランス王国の王位継承を巡りフランスヴァロワ朝と

イギリスプランタジネット朝及びランカスター朝の戦いは

1417年イングランド軍によってルーアンは陥落、ノルマンディー

一帯は掌握された、

フランス東部の農家の娘として生まれたジャンヌダルクは

1412年頃の生まれというが、12才の時大天使ミカエルの声を

聴く、

啓示に従いフランス軍に従軍、イギリスとの重要な戦いに勝利を

収め、シャルル7世の戴冠に貢献する。

その後の戦いでイギリス軍の捕虜となり異端審問にてルーアンの

この教会の建つ広場にて火刑となった、19才だった。

大天使ミカエルがある時地上に降りてきて最後の審判が始まる、

死者はそれを待つため体を残して(土葬)墓に眠る。

キリスト教を信仰するもの火あぶりという処刑は肉体的な苦しみ

はもちろん精神的な苦しみを伴った。火に包まれながら神の名を

叫んだという。

 

さて、今夜はミカエル(フランス語ミッシェル)の声のする

方向へ、

モンサンミッシェルへ向かおう。