ヴロツワフ、キレイな町に一粒のウンチ。 | 添乗員 森田 世界の旅

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12月18日、ヴロツワフの朝。

ヴロツワフ、人口63万人。ポーランド公国(直ぐに王国)

で西暦1000年にオドラ川の中洲に砂上の聖処女教会が

建てられ司教座に。

間もなく貨幣銭造所が置かれ東のクラクフ、西の

ヴロツワフがポーランドの金融産業を支える町となる。

 

町はすぐ西にドイツ、南にチェコと国境を接している。

 

モンゴルの襲撃後の14世紀、(チェコ)ボヘミア王国領

となり、

オスマントルコの襲撃後の17世紀からはパプスブルク領

となる。

オーストリア継承戦争後の18世紀には

(ドイツ)プロイセン領にと目まぐるしい歴史を

辿る。

 

1813年直ぐお隣りのドレスデン近郊、ライプチヒの

戦いで、ナポレオン軍に対しロシア、プロイセン、

オーストリア等の連合軍が勝利をおさめる。

以降ロシア領となるヴロツワフに、

そのライプチヒの戦いから100年目を記念し、

1913年建築家マックスベルクによって当時世界最大の

鉄筋コンクリート建築、百周年記念ホールが完成する。

建設期間はたったの14ヶ月、

鉄筋コンクリートのクーポラは直径65m、高さ42m。

多目的ホールとして姿を保ったまま、6000席の現役

多目的ホール。そしてこれがこの町の世界遺産。

相変わらず緑地が多く、お隣りには世界の庭園が整備され

今も一番人気はこの日本庭園だという。

日本画、またはモネの世界だ。

ヴロツワフのど真ん中、市庁舎。この町も第二次世界大戦

では町の6割が倒壊、戦後に建て直した。

見ての通りポーランドの町はどこも美しく、

何十年も昔の映画をセットを組まずに撮影できるような絵。

写真には写らない道にゴミはなくとてもキレイなんだ。

ウンチも一つと落ちてない。

ここに来て何となくドイツを思い出すクリスマスマーケット

(ってどんな感じだ?)

夜はもっと、

楽しそうだね。

何世紀も前に始まって、最近店じまいををしたブッチャー

(肉屋)通りには昔を忍び絞められる前の動物達。

ウンチ一つ落ちてない町に、ウンチが一粒落ちていた。

(写真には写り込んでないが)ヤギのケツの下に。

その何年も前のブロンズのウンチは

触るとウンが付くといい、黄金に輝いていた。

ここの町歩き、至るところに小人がいて

歩く楽しみが増す。

小人の始まりは社会主義時代の1980年、

オレンジオルタナティブなる組織が、

政府への批判を小人の可愛さに包み町中に

小人を描いたという。

民主化された今街中にはフリースタイルの小人が

300以上歩くものを楽しませてくれる。