ポーランド、クラクフのヴァヴェル城から。 | 添乗員 森田 世界の旅

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ハネムーン

12月15日、クラクフの朝。

今日からポーランド観光スタート。

ポーランド共和国、人口3820万人、面積は32万平方㌔

(日本の8割)。

西にドイツ、北リトアニアに東ベラルーシ、ウクライナ

と旧ソ連の国々があり、南部にチェコとスロバキア。

 

東西に平野が広がり先史時代から陸上の人の住来が多い

地から7500年前のチーズ製造の痕跡も発見されているが、

ポーランドの人種の根幹は、ゲルマン人が移動した後の

6世紀までにこの地に移動、定住したスラブ民族。

スラブ系の複数部族を束ねたのがポラン族長ミェシュコ

1世で、自ら966年キリスト教に改宗してポーランド公国

に。西欧キリスト教国家の一員となる。

 

その息子ボレスワフ3世は、公国の勢力を現チェコ西部

からウクライナ、リトアニアまで広げ、

神聖ローマ帝国から認められ

1025年ポーランド王国となる。

 

1241年にモンゴルの来襲に屈し王家はハンガリーへ、

モンゴル軍は定住はせず撤退後、荒廃した(主に南部)

地にドイツ騎士団、それから当時西欧で差別、迫害の

対象であったユダヤ人を入植させる。

 

時の王ガジミエーシュ3世大王の宗教的、民族的寛容さ

から、都に定められたクラクフは、大いに発展し、

1364年にはクラクフ大学創設、学術文化が開花した。

町の西側を流れるヴィスワ川を城の建つ丘の上から眺める。

川に面した丘の下に昔ドラゴンが住んでいて、村人に悪さを

するので爆弾を飲まされ殺された伝説のドラゴンが今日も

火を噴いている。

バベル城の門くぐる。

白い石積みは10世紀の建設当時のもので、木製だった

門上のスペースは火災で焼け、レンガは13世紀に

積まれた。

高い見張りの塔だ、白が10世紀。赤レンガが13世紀、

奥の黒っぽいレンガは18世紀のオーストリア時代のもの。

城壁に兵舎に病院に、まだ本宮は見ていない。

丘の上のバベル城は城壁に囲まれた一つの町と言える規模を

持つ。

城壁内にはヴァヴェル大聖堂、14世紀以降の様々な様式が

入り混じる。

14世紀にヤギュウォ朝(1320~)を創始しポーランド王国の

首都をクラクフにしたヴァディスラフ1世が眠り、

オーストリアになる1772年まで400年以上ここで、王の戴冠式

が執り行われてきた。

ここからが王家の住んだ城の部分。

16世紀ジグムント王の時代にルネッサンス様式で改築された

王宮は外壁を修復中だが。ルネッサンスアーチが支える

3階部分の居住空間の作りがかっこよい。

現在内部は宝物、武具博物館に。

さて次は、城を下り旧市街散策へと行こう。