6月9日金曜日、ベオグラードの朝。
パンノニア平原の平らな土地に175万人都市ベオグラード。
その中に小高い丘はいくつかありそこに建つのが
聖サバ教会。白地にイスラム教のシンボルカラー緑の屋根は
一見モスクを思わせるが、ここはセルビア正教を信ずる
セルビア人にとって巡礼の対象の教会。
真正面から見ても、この左右対称さトルコ辺りのモスクを
思わせるが、、、屋根の上に縦横対称の十字架があって
そう正教会。
サバ川とドナウ川の合流地点に町を築いたローマ人が去った後、
ゲルマン民族は定住せず、一時はビサンチン帝国や
ブルガリア王国の支配下にあったが、
7世紀から北方よりスラブ人が移動し、バルカン半島一帯に
定住する、スラブ人に依るスラブ人の為の国家が成立するのは
12世紀のこと、
1171年ステファンネマニャはセルビアの大部分を統一し
セルビア王国を建国した。
宗教的にもビサンチン、コンスタンティノーブルから独立し
ネマニッチの末息子サバはセルビア正教の開祖者となる。
上の写真の教会の横に
丘の上にもう一つの小さな教会がある、
1346年にセルビア王国の時代は終わり、再び他民族支配が
始まるが、この地を支配した(オスマン)トルコ人は寛大で
信仰の自由があった。(⬇入口の聖人となったサバ)
しかし、セルビア人のサバ崇拝の大きさに、1594年のオスマンに
対する反乱の際、そのカリスマの遺体は掘り起こされ
この教会の建つ丘の上で群集を前に焼かれたという。
小さな教会内部には、
フレスコ画により伝えられる、キリストの元の聖書を持つサバに
王国の建国者であり父であるネマニャが描かれ、
こちらには群集の前でトルコ人に焼かれるサバの姿が
描かれている。
話が逸れた、隣の大きな聖サバ教会に話を戻すと、
長ーい外国支配が一瞬だけ解かれたユーゴ王国の1935年、
サバを讃えるセルビア一大きな教会建設が始まったのがこれで、
未だ内部には足場が組まれ完成を迎えていない。
驚きは今日初めて見た地下の部分、
真新しい大理石の階段を下ると、
そこには
完成された地下の礼拝堂があった。
シャンデリアもすごいね、
完成された祭壇部分。
ここもまた、サグラダファミリア同様、来る度に
完成へ近づく変化を楽しめる教会だ。
町の北側の丘には、ベオグラード要塞。
スロベニアに始まるサバ川(940㌔)はバルカン半島を東に流れ
ここベオグラードで、
欧州最長のドナウ川(2860㌔)に合流する。
この川があり紀元前6000年から人の生活があり、現在までに
140回を超える戦場にもなった。
ベオグラード要塞は今カレメグダン公園として
市民が憩う場になり、第二次世界大戦後の平和を願う記念碑や
内戦後の復興にお役に立ったか、日本への感謝の泉等もあった。
セルビアでは内戦が長引いたこともあり、クロアチアや
スロベニアには観光面で遅れをとっているが、
街の再建と共に訪れる人の数も増えている。
次回の変化を楽しみに、サラエボへ向かおう。