マチュピチュ村に2泊するツアーの場合は丸1日
マチュピチュで過ごせることになる。
午前中はガイドがいれば皆がするように
マチュピチュの写真を撮りながらマチュピチュとは?
について考える3時間となる。
これで十分と言えば十分だが、午後からはご自由に。
となった時にできる事を。
おなじみ、後方の山はワイナピチュ(2690m)へはインカ人
が作った神殿への人工的な道とは言え登山的な要素が
ありその気で来ていない人にはお勧めできないが、
現在は7時からと10時に200人のみが入場ができるシステム
になり、それには何か月も前からの予約が必要で
急な想いつきでは登れない。
一度どうしても!というお客様に賄賂を握りしめて
行ってみたらどうか、とアドバイスをしたこともあったが。
ガイドさんとともにホテルでゆっくり昼寝をする方は
山を下り村へ行く。村での午後は昼寝の他、駅前の民芸品
市場でのお買い物や、村の外れの温泉や
インカが石を削るのに使用した隕石を使うマッサージなどが
できる。
僕はたいていは遺跡に残りもうちょっと見たい人と
もうちょっと見る事にしている。
アンデス山中でインカの皇帝が300㌔離れた海の新鮮な
魚を食べていたというが、僕らもサンクチュアリーロッジでの
昼食で海の新鮮なセビッチェ(生魚)をゆっくり食べて過ごすと
だいたい2時頃になっている。
5時の閉園まで遺跡に戻って思いのまま写真を撮るも
座って絵を描くも、芝生で昼寝をするのも良いだろう。
僕は希望者と遺跡に背を向け東へ歩くことにする。
遺跡から東を望むと遠くに太陽の門(インティプンク)が
見える、インカ道をクスコ方面からやってくるとそこで
初めてマチュピチュが視界に入るという地点であり
、またインカの宗教において重要な太陽も最も重要な
冬至の太陽6月21日(北半球においてこの日から陽が
長くなっていくその初日、宗教的には最も地球に太陽が
近づいた日)の日差しが太陽の門から村に差し込む、
その太陽の門へ。
インカ道は山道でなく人間が作ったものなので歩きやすい。
山は目標が見えてからが遠いものだが、ここでは近い。
チャスキ(飛脚)が走った道だ、インカ帝国内全ての道はクスコに
通じるインカ道は少なくとも3万キロ。
2.8㌔置きに2人のチャスキを配置して情報の伝達がなされていた。
ヒマな時のチャスキは街道をキレイに保ち石ころひとつ落ちて
いなかったとも。
つまり人間がつくった走りやすい石畳を歩くわけで山道では
ないということ、実に歩きやすい。
ただし急斜面に積んだ階段は段差が高く上り下りが大変だ、
チャスキは走ったため走って上る下るのに適した高さなのだ。
駅の階段を一段抜かしで飛ぶように。
インカ道を黙々と歩くといくつかの神殿やインカの小屋やまた
マチュピチュへと流れていた水の流れが聞こえる。
50分もあれば登れる道を景色見ながら倍以上の時間をかけて
登っていく。
チャスキは魚を持って走った、そして情報を伝達するために
2.8㌔を全力で走った。1日で300㌔情報が進んだという。
しかし伝言ゲームでは皇帝がよし子ちゃんに伝えてくれと
言った事も300㌔先ではトシ子ちゃんに伝わっているかもしれない。
皇帝がボジョレーヌーボーを飲みたいと言ったのに
ボラギノールが来たかも知れない。
テニスのセリーナ ウィリアムズに会いたいと言ったのに
姉のヴィーナスが来ちゃうかも知れない、これには皇帝も
気付かないかも知れない。
安心してください、それはありませんから。
チャスキは現在のコンピューターでいう
ICチップを運んだ
リャマの毛を紡いだ紐を十進法で結ぶことで
結び目による数量、色による物質(農作物、鉱物、人、
兵力、家畜、、、)の情報をこのキープといわれる縄にした。
チャスキはこれを手に走ったのだ。数量以外の言葉メッセージ
もあっただろうがスペイン人が来て以降それを知るものは
いなくなった。
なんて考えていると、到着しました太陽の門。
肩越しにマチュピチュ遺跡、ワイナピチュより高い
2700mぐらいかな。雨具を持ってきたものの幸運なことに
使うことはなかった。
めでたしめでたし。
インカ橋というポイントもまたお薦めだが今回はこれで。
そろそろ雨も降ってきそうだ、閉園ギリギリで遺跡を
でると、相変わらず世界で一番ストレスのない(大切に
されているんだね)ワンコが寝そべっていた。
こんにちは、ワタシはキムラタクヤ、ポストカード
安いよっ!ていうこのお兄さん、良いもの持ってます。
ほんとに安いので買ってあげてください。
それから、そろそろキムタクに次ぐ次の名前も考えて
あげなくてはいけない。 ではでは。