ツアー7日目、ドキュメントマチュピチュへ | 添乗員 森田 世界の旅

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前日6日目ブエノスアイレスにお別れをし、
リマのホテルに入ったのは24時。
本日は4時起床リマの空港へ向かう、雨季のクスコの
空模様に配慮し午前中にフライトが集中する便の中から
9時5分発LAN2123便。

 

 


順調なフライトで1時間20分後の10時25分クスコ到着。
空港で迎えてくれたガイドさんは


わたくしエドガー チュラでございます、(以下ちゅらさん)
どうぞ宜しく。
日系人ですか?、いいえ100%メードinインカです。


日に焼けた峰竜太でございます。
アメリカ大陸先住民インディオ(モンゴロイド)の
中でも最も日本人(縄文人)と遺伝子が重なるモンごロイドは
ここクスコのインカ帝国を築いたケチュア人だ。
世界遺産クスコ旧市街観光へ。

 

 


サントドミンゴ教会、1533年スペイン人ピサロに征服された
インカの都クスコに以降カソリック教会が立ち並ぶ。
この場所にはインカの宗教に欠かせない太陽神を祀る
太陽の神殿コリカンチャが建っていたが

 

 


インカのカミソリの刃も通らない精巧な石像建築の石組を
土台に(または破壊できないためそれを隠すかの様に)
立派な教会修道院が建つ。
今でも現役の教会だが地震の度に崩れては直した修道院部も
1955年の地震を最後に隠すことはせず、幾多の地震にもビクとも
しないインカの石組を一部に見せてくれている。

 

 


地震にもビクともしないと言ったが虹の神殿の一部は1955年
カミソリの刃20枚位入る隙間が空いた、
ちゅらさん曰く、安心してください次の地震で戻りますから、
との事いやはやさすがはインカだ。

インカ皇帝13代目アタワルパはピサロに殺され実質インカは終わる。
この都やマチュピチュを築いた皇帝は9代目パチャクテ!450年前後。
インカの皇位は世襲であるが分離相続のため皇帝の即位事に新築の
お屋敷が建てられることになる。


有名な12角の石は7代目皇帝の屋敷の部分に。
長いこと12角の石の前でインカ皇帝の格好をし
有料写真モデルをつとめる自称皇帝もまた日本人の
代表格若き日の横綱貴乃花にそっくりだ、最近は歳のせいか
だんだん元横綱輪島さんに似てきている。
今度来たら一緒に相撲を、いや写真を撮ろう。

この後植民地時代にスペイン人が築く市の中心アルマス
広場や大聖堂の写真を撮っているとちゅらさんの携帯に
連絡が入る。マチュピチュへ向かう街道の村でストライキが
始まるとのこと、もう一つサクサイワマンというインカ時代の
遺跡へ行くのを取りやめてとりあえずバスに戻りマチュピチュ
方向へ向かう。

マチュピチュへは列車移動しかないがバスで入れるギリギリの
村オリャンタイタンボ(駅)までは80㌔2時間弱、乗り遅れたら
次の無い(どの時間も常に予約満席のため)列車へ乗るため
1時間早くクスコを出る。
ストライキはクスコを出た次の村ポロイで始まっていた。
ドル箱路線オリャンタイタンボへ観光客を乗せて走っていた
個人タクシーへの規制を阻止するためのストらしい。
オリャンタへの道はこの道かピサック経由(100㌔)かの2つ。
ピサック経由も検討したがそちらはもっと重いストとの事、
ポロイに差し掛かると道には大小の石が置かれ車の交通が
できぬようになっていた。

マズイ、マズイがなんとかなるか?なった!、ストはポロイ村だけ
その先へ抜ける山道事をちゅらさんだけに
ある村人が教えてくれた。
車で行ける道であろうがバスで行けるかはわからない。

 

 


やはりランドローバーでなくては走れないような
未舗装の山道をゆく、

 

 

 

 


雨季の小さい土砂崩れ、ちゅらさんももちろん僕も
未知の山道、雨が降り出したらアウトだ。

 

 


4000m級の大地の車窓が絶景なのは良いが、
この先いつバスが立ち往生するかわからない道、
同じくストライキを回避しようとして入ってきた
数少ない対向車(4駆車)に、そして道端に座っている
ケチュア語しか話せないご老人に道を聞きながら、
その先にどんな道があるのかを確認するため
ちゅらさんと僕はバスの前を走る。
大切なのはマチュピチュへゆくことだが
もっと大切なのはこんな訳のわからない道をゆく
お客様の不安を取り除くこと。そのために僕らは走る。

 

 


とてもバスが曲がれないようなデコボコの急カーブ
もあったが傾き横転しそうな時はお客様に降りてもらい
(3回くらい)切り抜けた。

 

 


たったひとつの村を迂回するのに1時間半位かかった
ように思える、

 

 


いつもの街道から遠く眺めるピウラの湖が見えてやっと
街道が近いことがわかる。
抜け出た先はチンチェーロ村、時計を見ると15時をまわっていた。

ここからは少なくとも50分はかかる、もう列車には間に合わない。
マチュピチュは遠のいたが、石のバリケードのなかクスコへ
引き返したグループはもちろん個人よりは近づいた。
少なくともバスで抜けたのはうちだけだが、さてこの先どうしよう。

ゆったりの旅をうたい、マチュピチュ村へ泊まることで高山病に
かかることは無いツアーを売りにしているだけに、
お客様にとっても大変な思いと苦労を申し訳なく思う。

とりあえずトイレを案内して次の次を考えよう。

 

 


トイレをかりたチンチェーロ村の店を出ると
いつのことと変わらない村人全員で死者を悼む葬式の
行列が道を埋めていた。

つづく。