先日の牛角とは違う事例で

私は普通に差別しているんだなと気づいた

 

 

 

 

女性が倒れていたけど、救護員がAEDを使わなかった

その後、女性が障害が残ってしまったとのこと

 

これに関しては、しょうがない

というか、そんなリスク犯してまで、見ず知らずの女性を助ける必要はないって普通に思ってしましますもんね

 

 

①助ける→助かる→ありがとう→セクハラで訴訟

②助ける→助からない→逆恨み

③①と②の合わせ技

⓸助けない→救護員がどの程度の責任があるか不明ですが、最悪転職することになる(罪はない)

 

となるのならば、助けない、スルーがベストということになってしまうよね

 

ハイリスクノーリターン

そう、ノーリターンなんですよね

 

これだったら女性が倒れていてもスルーするのが一番でしょう

 

 

こんなの一部のことだと騒ぐのは勝手だけど

そのリスクがあるというだけで、助けないという候補がでてくるんだよ

 

 

ネットではAEDはセクハラ等の罪にならないとの意見を見かけたけど本当か?

 

過去には

せん妄での裁判があったんよ

 

 

 

裁判が起きている時点でリスクだし

この裁判って最終的には無罪になる?かもですが

医者は職を失い家族は自殺にまで追い込まれているんだよな

 

 

もちろん、せん妄の状態だから

女性本人にとってはそう感じた可能性があるんだけど

 

専門家である医師が医療行為として行ったことですら裁判となるなら

一般人である私たちは、なにもしないが一番なんでしょうね

 

 

一個人なら裁判になった時点で負けだから

 

 

 

本人の努力でどうしようもないことで、区別をするのが差別とは言っても

被害を被ってまで、助けようとは思わないわな

 

 

ここからはより攻撃的なことを書きますが

いままでさんざん声を大きく差別だと叫んできた女性たち、そして傍観してきた人たち

 

機会的な差別はない方がいいのかもしれないけど

意味の分からないことを叫んで、自分が有利にならないと暴れ散らかすだけなんだよね

 

そして、それを止めずに見ているのも、ある種同罪で

いじめの傍観者と同様なんだろうな

 

いけないことはいけないといわなければいけない社会なんだろうね

 

 

そういった意味で、先日触れた

差別を無くすためには、小さな差別を無くすべきって主張は間違っていないのかもって思えてくるよね