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~感謝を込めての追記です~
皆様のコメント、心に響き、たくさんの愛を頂きました☆彡
記事書いた時も実はそんなに悲観的に
落ち込んでもいなかったのですが、今はだいぶ持ち直し、
「ま、考えてもしょうがないわ~。そん時ゃそん時!
何とかなるっしょ!今を精一杯味わって過ごすだけよ~♪」
…と、復活中です
そんな私、皆さんの愛に感謝☆感謝の中、
こんなの見つけましたあ~
地球よ、そして皆様
ありがとう
感謝と愛を込めて
エッツーさん、お誕生日、おめでとう
~追記おわり
~
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こんにちは イオです
皆様、GW楽しんでらっしゃるでしょうか
GWも変わらずお仕事の方々、お疲れさまです
姪っ子その二の記事を書こうと思ったのですが…今回は別の事を。
ハッキリ言って、今日の記事、変かもです(≧▽≦;)
私は今日、ちょっと凹む事があったとです。
しかし、それがどうやら、心に不思議なスパーク起こすきっかけになったようなのです
まあ、詳しく書くのはやめといて…端的に言っちゃうと、自分の足の病気の事で、悲観的にではなく…いや、悲観的なのかしら?いや、そんなことはないと思う。
実は私、家の中で、時々「早く寿命尽きちゃってくんないかなあ」…なんて、悲観的ではなく、なんか、さらっと本気で思っちゃうような事が、あるのです。
別に自殺願望があるわけではない。
人生それなりに楽しんでる。
悲しいわけではない。
お別れが寂しい人がいっぱいいるので、できれば長生きしたいけど、お金なし家庭環境安定せずな状態なら、あんまり長生きしとうはないなあ~という感じです。
めっちゃ問題発言ですが、それはこんな理由から。
今のまだ若いうちに寿命尽きたら、将来歩けなくなった時どうしよう…とか考えなくていいから。そう、ただそれだけ。
将来、もしも家族に「姉ちゃんどうする?誰が面倒見る?」なんてもしも言われちゃったら超辛くね?…という事を、そしたら考えなくていいからです。
そう。ただね、それだけなんです。
でも、明らかな問題発言だから、言わないようにしてました。
…が、イオさんをさらけ出してしまいますと、そうなんです。イオさんは心の中で、こんなことを思いつつも一生懸命生きて、今を精一杯味わってるよー。
決してあきらめて人生生きてないよー…というわけなのです。
生きている事に、悲観的になっているのではない。
この病気を辛いとは思うけど、悲観的にとらえているわけではない。
とはいえ、まあ、時々辛いけど…すぐ立ち直る
ただ、今の両親や家族に対する態度や行動を見ていると、弟達に対して「将来の心配はしなくても大丈夫だよね」…という「思い」は、とてもいだけそうにないという現実がある、のです。
しかし、誤解しないでくださいね。
弟も妹たちも悪人ではない。いいやつらです。
ただ、自分や自分の子供達と同じように、他の家族の事も考えている…というわけではない…という現実を目の当たりにして、今日まで生きてきているというだけです。
いざという時、助けてくれると思う。
でも、それが半永久的に続くとなると、どうだろう…という部分で「安心感」はいだけない…という現実がある、というだけです。
自分の足の病気を、私は実は、そんなに悲しんではいない。
でも、行きたい場所が片道移動1時間近くかかる場所だったりすると…いざ目的地に着いた時、歩けるだろうか…移動で力尽きたらどうしまひょ…という心配は常にある。
とにかく自分の病気で一番困るのが、「唐突に激痛きて一歩も動けなくなる瞬間が予想できない」事だったりするのです。
さて、ここで勇気出して言いましょう。
もしかしたら、薄々「何でだろう?」と思われてる方いるかもしれませんが…。
なぜ、私は、自分の病気について、あんまり記事にしないのか…。
そういう話をすると…大抵の人が、こう言うから……。
「その足、治らないのかな?」
(別に言われても平気なのですが…理由は、この下に続く…↓)
大抵のスピリチュアリストさんが、こう言うから。
「スピ的に言うと、病気っていうのは、本当はないんだよね。もう必要ないと思ったら治るんだよね。それで治せるんではない?」
うん。バシャールも言うとった。私もそう思った。
大丈夫そうな人には、私も言う時ある。
(本当に思い次第で治りそうだと感じた人、この人はもう、この先の人生にその病気は必要なさそうだな…と直感的にはっきり感じた場合には…ですが)
その度に、しかし、私の中の「何か」が、ずっと心に囁いてきた。
「違うよ~。そうじゃないんだよ~。あなたはそのために病気の体を選んできたわけじゃないんだよ~。気づいて~」
そして、その度に、私はその声に言った。
「病気なんか、ロクな事ねえんだよ!家族は誰も理解してくれないし!両親悲しむから弱音も愚痴も吐けないし!みんな自分の気持ち吐き出していいんだよ。家族に遠慮しなくていいんだよっていうけど、それは、心が健康な家族の集まりの中でこそ言える事…。私は、そんなことができる家庭環境にないんだあー!病気なんか、いらーん!」
「でも、それでも、あなたはその体を選んだ。なぜだろう?」
はあーっ…(*´Д`)=з
ハッキリ言って、答えは、いまだに出ていません。
しかし、逆に言うと、「答えがない」のが、今の私への「答え」なのだろう。
ホピ族の教え「答えがないのも答えの一つ」…の通りの状況が、今の私なのかもしれない。
そんな中で、たくさんの方々のリーディングやご相談をお受けするうち、私は気づき始めた。
治らない病気、ままならない体、状況、家庭、出来事の中にあっても、自己を貫く意思/意志、全ての「私の要素」が、多くの人の心に、自分でも思わぬところで、小さくとも確実に「強烈な明かりを灯す」役割を担っているのを知る時、私は「このまま」でいいのだと…ふと、思う。
だって、よく考えたら…気合いで心ひとつで本当は病気を治せると言っても、それを言ってしまうと、最初から手足のない人は…どうなるのだろう?
なぜ、その体を持って生まれたのか…。
自分の人生に、もう病気という要素は必要ないのだと学んだなら、手足が生えてくるの?
失われた器官が戻る?再び現れるのか?
─── 何かが違う。しかし、何が「違う」のかまでは、まだワカラナイ。
今のところ、分かった事、気づきを得たのはここまで。
この先、私の中で何か答えは生まれ来るのか、気づきはやってくるのか…全然わかりまへん。しかし、今はまだ答えが見つからない事に、確実に意味がある。というのは分かる。
少し前まで私は…自分は不完全だからリーディングするべきではないのかも、ご相談受けるなんておこがましいかも…と思っていたけど、それも「思う必要のない思考」なのではと思い始めたのであります。
なぜ、不完全な人間は、不完全だからという理由で、人様の相談に乗っちゃいかんのさ!?(まあ、不完全すぎて他者への対処ができんほど問題ある場合は明らかにアカンけど)
…そして、自分に対して、思い始めた。
ええやんけ。
未熟でもええやん。
未熟で何が悪い。
家族に愚痴れへん、弱音吐けへん。
それでも、一人でいつも自分の気持ちに向き合って、自分が立つべきと感じた場所にしっかり立って頑張ってる。
それでええやん。
せやからー!ええやん!!
ちょっとくらい、自分にわがまま言わしたったらええねん。
(私、関西人じゃないんですけど…なんでか昔から関西弁が出るんです~)
私はー、これで、いいのだー!
…と、なんか今日、辛いことあった中で、怒りの中で、なんか改めて、強烈に思ったわけです。
そうなんです。私って、未熟な人なんです。
問題いっぱい抱えてます。
でもまあ、それでもええやん思えるのは、自分の心に、現実に、常に正面きって向き合って、心の整理をし続ける事だけは忘れないでやり続けてるから。
どこに向かって行ったとしても、必ず自分の中に「行くべき道、目的、目標」を見出し、きちんと軌道修正して進んで行ってるという自信はあるから。
だから、ええんやわ。
だから、未熟な自分を、生きるのが辛いと感じて、時々うっかり「もう死にたい」と思っちゃう自分がいたとしても!
皆さん、そんな自分を、どうぞ、両手で思いっきり抱きしめて癒してあげてください。
そんな自分を、「一生懸命に生きて、何て愛おしいんでしょう」…そう思ってみてあげてください。
誰かに癒してもらおうとする必要、ないのです。
自分で自分を、癒せるのですよ
自分で自分を抱きしめるという「癒し」が、どれほどパワフルなものであるかを、これを機に、どうぞ知ってあげてください。
自己憐憫に陥っても、自己否定に浸っても、軌道修正できる強さを、みんな自分自身で手にする事ができるのです。
私の病気は、そういったことを、私に身をもってたくさん教えてくれているのです。
不自由でもいいのよ~、五体満足でなくても、それが何~。
悲しんでもいいのよ~。いつも笑ってなくていいのよ~。
それでも、「おまえは完ぺきだ」…そう本気で思える日まで
私はこの先も、私はなんで、この病気の体を選んで生まれてきたんだろうねえ~と、自問し続けるのでしょう
それでも、良い良い
答え見つかんなくても、良い良い
何が言いたいのか分かんない記事かもですが、最後まで読んでくださる方、いつもありがとうございます!
今まで、私に「病気が治るといいのにね」とお声かけをくださった方々、決して、その言葉を責めないでください。
誤解しないでくださいね!その言葉はいいのです!それはそれで嬉しいのです。
それは、私の事を案じて心配して思いやってくださったからこそ出てきた言葉なのですから
どうか、今、様々な思いを抱えて悩んでいるみなさんの人生に、素敵な気づきと幸あれ…と、心から願います
(うふ、分かる人にしか分かんない「白鳥」絵文字大いなる感謝を込めて貼り付けてみました
)
いつもバナポチ、いいね、「なう」見てくださり、長い記事を最後までお読みくださり、本当にありがとうございます
今日も明日も明後日も、皆様の人生に、最高の笑顔と喜び、幸せあれと心から願います
微礼ながら「読んでくださる方々に光と祝福の恩恵あれ」と願い、記事にエネルギー込めさせていただいております
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