これが、片付け祭り第5章「思い出品」について、写真に次ぐ難関となりました。
写真は物量的に厳しく、こちらは物理的に処分が厳しい品です。
写真は物量的に厳しく、こちらは物理的に処分が厳しい品です。
かねてから私は、仏壇をなんとなく邪魔だと思うようになりました。
というのは、小さいながらも場所を取ることに加え、部屋の美を崩すように感じられるからです。
それに仏壇など、どうもただの箱じゃないかと思うようにもなりました。
というのは、小さいながらも場所を取ることに加え、部屋の美を崩すように感じられるからです。
それに仏壇など、どうもただの箱じゃないかと思うようにもなりました。
特にここで手を合わせることもなくなったので、押入の奥に押し込めておりました。
だいたいねえ、故人を思うためにこんなでかい箱など要らないんです。
仏壇や位牌なんて、単なる見栄のカタマリなんです。
遺影や形見の品と、それから心さえあればそれで十分なんです。
仏壇や位牌なんて、単なる見栄のカタマリなんです。
遺影や形見の品と、それから心さえあればそれで十分なんです。
参考記事(当ブログ)
そのように思ったことから、仏壇を家から追放することを検討しておりました。
そこで一昨日、粗大ごみの回収(毎週木曜日・予約制)を待たず、自らの手で破壊した上で追放することにしました。
先ず、花瓶や飾りなど金属のものは、不燃ごみ(毎週第2、第4水曜日)として出します。
メインの部分を、自らの手で破壊します。
印西では粗大ごみの処分手数料はかかりませんが、もうとにかく早く追い出したいという背景がありました。
メインの部分を、自らの手で破壊します。
印西では粗大ごみの処分手数料はかかりませんが、もうとにかく早く追い出したいという背景がありました。
それから、インターネットでパワハラの記事を読んでしまい、元家人への憎しみがまた、急に湧き上がりました。
仏壇はただの箱だと思いながらも、それが暴君だった元家人の象徴だと感じておりました。
そうなるともう、はっきり言って目障りにまで感じられます。
そうなるともう、はっきり言って目障りにまで感じられます。
棚の部分や扉は、金槌で叩き落としました。
筐体部分については、横に真っ二つにする形で破壊しました。
これについては叩き壊すのは難しいので、鋸挽きの手法を取りました。
筐体部分については、横に真っ二つにする形で破壊しました。
これについては叩き壊すのは難しいので、鋸挽きの手法を取りました。
この手法で、可燃大3袋分、不燃1袋分にすることができました。
仏壇がなくなるだけで、部屋が新しい快速電車の勢いで広くなったように感じます。
もっといえば、部屋の威圧感、閉塞感が消え失せたような気分です。
仏壇がなくなるだけで、部屋が新しい快速電車の勢いで広くなったように感じます。
もっといえば、部屋の威圧感、閉塞感が消え失せたような気分です。
こうなると仏壇が悪魔のような存在ですが、まさに悪魔だったのかもしれません。
これで、一歩どころではない、何歩もの前進を勝ち取りました。