子供の何人かは、命や死を弄ぶ。
だから、ある子供が簀巻きにされて窒息死しようと、それはただの「事故」で終わるし、あるいは、ある子供がいじめを苦にして自殺しようと、周りの子供はそれに何とも思わない。
そして大人が言う、「最近の子供はなっていない」と、「それは最近の教育のせいだ」と。
でも、考えてみれば、現状は全く違う。それも、いくつかの点で。
第一に、それらの例はあくまで「子供の何人か」の話だ。
多くの子供がそうなのでは無いし、半数の子供がそうなのでも無い。
「一部の子供」と言うのもためらわれるくらい、「少数の」子供がそうなのだ。
だから、あえて訂正するならば「教育のせい」では無くて「一部の」教育のせい。
教育全体の質が下がったのでは無くて、あえて言うなら、「一部の」教育の質が下がっているのだ。
「あえて」を連発したが、そこに第二の理由が絡んで来る。
その第二の理由とは、そもそも教育とは何か、という話だ。
「最近の教育が悪い」と言ったとき、それは多くの場合、「最近の学校教育が悪い」と捉えられる。
勝手に議論はすり替わる。勝手に、「教育」が「学校で行われるもの」に成り下がる。
現実は違うことを再認識せねばなるまい。
教育は、地域社会、地域共同体、家族などが行うものである。教育とは、今の社会を支えている成人たちが、「次の社会」を支えられるように子供たちを教え育むプロセスだ。
だから、「最近の子供はなっていない」と言うならば、それは確かに「教育」のせいとも言えるかもしれないが、それは寧ろ今の社会全体が抱えている問題であって、今の社会全体のせいであると言うべきであろう。
そして、第三の理由。大人は、果たして、命や死を弄んじゃいないのだろうか。
大人社会にも嫌がらせやいじめのようなものは存在するが、私が言いたいのはそんな話では無く、フリーターやニートが大勢いる現状だ。
中には、自分の夢を叶えるためにフリーターを選んでいる人もいるし、正規社員になりたくてもなれないからフリーターを選んでいる人もいる。
しかし、したいことも無くて、出来るならば楽に生きたいが、金が無くては生きられないからと、その場しのぎのために身軽なフリーターを選んでいる人間も数多いる。
彼らは、ある意味で自分の命や生を弄んでいる。生きることが当たり前で、自分の命の存在が当たり前だから、そうやって無駄に時間を浪費して生きている。
だから、命の弄びを問題視するならば、それは「子供たち」の問題ではなく、「社会」の問題である。
……と言うワケで、久々になんか(多分)真面目なブログを書いてみました。
軽めの深夜テンションで書いているので、ちょっと変かもですがご容赦を。