セルビア旅行(というかベオグラードですが)、私の三大目的地は、、、
1. ニコラ・テスラ博物館
2. ジョコヴィッチ選手のレストラン
3. NATO空爆跡
でした。
その3つ目です!
1999年、セルビアは77日間に渡ってNATOから空爆されました。
現場に行ってみると、「その歴史を残しておこう」というよりも、「NATOがやったことを忘れるな!」というメッセージが感じられました。
↓交差点の向かい側はこういう感じ
↓これは軍のリクルート広告かなと思ったんですが、違うらしい。こんな場所で軍の募集かけたらめっちゃ効果的だと思ったんですが。。
この交差点には横断幕がずらりと掲げてあって、
(ここからはエグい写真が出てきます)
↓当時の米大統領ビル・クリントンを批判するもの
NATOに空爆されて死んだ子供たちとか、爆撃で頭が吹っ飛んでる、とかいう惨状の写真がたくさんあります。
↓これは当時のイギリス首相トニー・ブレアを批判するもの
↓ STOP NATO
↓ Serbia without Kosovo would be like a human without heart
世界で言われていたニュースでは、セルビアが悪いことになっていました。
まあだからNATOが空爆したんですが。
でもメインメディアは平気で嘘を垂れ流すということは、コロナ騒ぎや政治のことなどこの3年間で嫌というほど身に染みてるので、、、(←今頃になって真実が出始めてはいるけど)
「メインメディアが言うことはとりあえず疑う!」という癖がついてしまった私🤣
セルビア旅行に行ったこともあり、逆の視点からも歴史を振り返りたいと思うようになりました。
第二次世界大戦以来、ヨーロッパでは最大級規模となった1995年からのボスニア戦争では、ビル・クリントンはバルカン諸国に介入してセルビア人に向けて爆撃するようになり、、
コソボとのことでは1999年にセルビアのベオグラードがNATOに空爆されました。
当時ファーストレディであったヒラリー・クリントンが滞在先のアフリカからビル・クリントンに電話をして「セルビアを空爆するよう」言ったんですよね。
ファーストレディが大統領である夫にそんなことを?と思いますが、ヒラリーはアメリカの軍産複合体の代理人。。。
NATOがセルビアを空爆していた1999年はシリアに住んでた私。
その時はまさか自分がアメリカに住むことになるとは思ってもみなかったけど、そのシリアも後に戦争させられ、、、
私にとって祖国ではないけど、何年か住んだ大好きな場所が空爆される、行くことができない、というのはやっぱり辛いものがあります。
色々考えさせられる場所でした。