美術を楽しむ時 おとなはある程度の出来上がりを想定して制作することが多いものです。
私自身 仕事で絵を描いていた時が まさにそうでした。
臨床美術に出会い 五感を使い 開放して 表現を楽しむことを知った時
表現することが これほど楽しく素晴らしいものなのかと 目からうろこが落ちる思いでした。
ところが
忘れていたのです
自分も子どもの頃 そんな風に表現を楽しんでいたことを・・・
子どもたちと表現の時間を共有すると
一瞬一瞬の感触が想像力を刺激し、喚起し 次々と溢れる想いに沿って 表現を楽しむ子どもたちの姿に ある種のうらやましささえ感じることがあります。
その時 子どもたちの身体の中をすごい勢いで 何かのパワーが駆け巡っているのだと容易に想像できます。
解剖学者が こころは内臓にある。と、書いた本を読んだことがあります。
つまり何かを見た時 何かに触れた時 何かを聞いた時 何かを味わったとき 何かを 嗅いだ時
本能的に体の中に感じる感触が 「感情・思い」だという事らしい。
それを言葉にするためは脳の回路を使わなくてはいけませんが 言葉にしなくても
それをそのまま 美術の表現に結びつけることができます。
先日の アトリエ・ルーツでの 子どもたちの作品
本当に素晴らしい!
何も考えず ただ見てみてください
しばし沈黙
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その間 周りの音も何も
たぶん耳に入っていません。
おとなとか 子どもとかの区別はなく
まさにひとりの表現者です。
私は 親子の教室の時 大人と子どもは別のテーブルで それぞれ表現を楽しんでいただくことが多いです。
それは 今 どの子も持っているある種の天才的な感性を おとなの物差しで制限してもらいたくないという思いと、子ども同士 大いに刺激し合ってもらいたいという気持ち。
そしてその素晴らしい「気の交流」を おとなにも感じてもらいたいから。
表現の時間を共有すると おとなから子どもに発せられる言葉は明らかに受容の言葉が増えます。
そして
同じ作品作りに取り組んだ 親に対する子どもの目も 本当に温かい。
嬉しさと安心感が 表情にも態度にも表れます。
別に芸術家を育てるためのワークショップではありません。
もともと持っている一人一人の良さを感じて 知って 自分も他人も受け入れる心の大きな人になって欲しいな・・・という 思いが根っこにあります。
終着点のない 正解のない(またはすべてが正解の) 表現の世界で


















