東門から天守を望む
大垣城 (別名・巨鹿城、牛屋城)
構造 平城 大垣市史跡 岐阜県ベスト4
天守閣 外観復元天守閣 昭和34年(1959)
四重四階 鉄筋コンクリート造
築城主 竹腰尚綱 築城年 明応九年(1500) [天文四年説アリ]
主な城主 竹腰氏 伊藤氏 松平氏 戸田氏
建造物 復興天守閣 復興櫓 移築門 等
大垣城 今回は城址公園(本丸)編
縄張り図を見ると 結構広いのですが
市街化が進み ほとんどの堀も埋められました
本丸部とその西側が城址公園です
さて城跡に この様な図が掲示されています
これから分かるのは
天守閣 丑寅櫓 戌亥櫓 は 復元された建物です
それら以外の建物は移築門とイメージ復興建物です
東門(柳口門 移設)
元は大小姓多聞櫓があった場所に
柳口門が移築され 本丸公園の東門になっています
本来は水堀に囲まれた本丸
門は南側の「鉄門」と
堀に降りる「水の手門」だけなのですが
市街地化され
駅からのメインロード側から入ることを考え
本来は無かったのですが 櫓門が
移築された模様です
戌亥櫓(南附多聞)
七間多聞跡
鉄門跡(本来の本丸の入り口)
西門と瓶は③に載せます
明治29年の大洪水の際の浸水位置が記録されています
市街化がここまで進んでいなかったであろうその頃は
お堀も残っていて 水に浮いた城のようだったそうです
だから このような自然災害も起きた?