広島城 (別名・鯉城、在間城 当麻城 石黒城 御篠城)
日本の名城 都道府県別ベスト10 広島県:第一位
構造:平城 / 国指定史跡
天守閣:外観復元 昭和33年(1958)
築城主:毛利輝元 / 築城年:元和19年(1591)
主な城主:毛利輝元 福島正則 浅野氏
建造物:櫓(復元) 門(復元) / 遺構 石垣 堀
今回は広島城二の丸と他少々の写真です
歴史街道スペシャル「広島城」では
表門馬出 と紹介されている二の丸
聚楽第に似せた縄張りで このような二の丸になった!?
ここの建物も 原爆で倒壊炎上 (>_<)
しばらくは 焼けた石垣のみでした
前回訪問時は、ちょうど復元にかかる直前で
今回 目の当たりにすることができました
平成6年(1994年)復元されたのは
表御門
平櫓
多聞櫓
太鼓櫓
多聞櫓内に有った説明板より
天正17年(1597)毛利元就の孫である毛利輝元によって、広島城築城の鍬初めがおきなわれた。
この二の丸は、他の城に比べると規模が小さいのが特徴で、本来は馬出し(城内からの出撃の拠点)としての機能を持っていたと思われます。
二の丸の西面に開かれた表御門は階下が城門、階上が渡櫓となっていました。これは「櫓門」と呼ばれるもので、広島城の主要な城門みなこの形式でした。階上の櫓部分の柱と長押を白木をそのまま見せる「真壁造」で、たいへん古風外観でした。
平櫓・多聞櫓・太鼓櫓とも外壁は黒い下見板張(壁に横板を少しずつ重なり合うように取り付けたもの)でした。
内部は梁をむき出しにし、柱や長押も漆なども塗らずに、木の肌を出したままの質素な造りになっていました。
新しいタイプの城は、柱もすべて白漆喰で塗込める「総塗籠」であることが多いので、古風な様式であることがわかります。
現在の二の丸は、毛利輝元が建てたころの様式を木造で復元したものです。
表御門 平櫓
表御門(橋御門)
平櫓(不寝番が常駐し表門の見張りをした)
太鼓櫓(登城の合図の太鼓を鳴らした)
多聞櫓
塀
南東側から二の丸を望む
外回り(三の丸)には
歩兵第十一部隊の遺稿もありました
第十一部隊門柱跡
お城跡は大阪城 金沢城 他
軍に利用された施設跡が 結構ありますね
最後に
二の丸から 護国神社越しの 天守です
かなり見にくい (;^_^A