男というものは、どうにも意気地のない生き物で、ちょっとなにかあるとドーンと落ち込んで、しばらく引きずったりするのですが、その点、女の人は切り替えが早く、次の日には何事もなかったかのようにいつもどおりの生活に戻っていたりします。先日も、嫁さんが大泣きしながら「もう、なにもかもがイヤ!生きる気力が持てない」と言うので、一晩中慰めたのですが、次の日に「ねえ、焼き肉食べに行きたい」と言われたときは、「俺の昨日を返してくれ!」と心の中で叫びました。

                 犬嫁日記#44:『うだつがあがらない』の巻

嫁さん:「ねえ、電気も点けずにそんなとこでなにやってるの?」

ふと我に返ると、僕は真っ暗な部屋の中にいました。夕方からずっとひとりで考え事をしていたのです。いつになく真剣に考えていたので、どうやら時の経つのを忘れてしまったようです。

僕:「別になにも」

僕は、反射的にそう答えていました。嫁さんが怪訝そうな顔でこちらを見ています。僕はなんとなくバツが悪くなったので、彼女に背を向けると、パソコンの起動ボタンを押しました。

嫁:「犬は自分の話は一切しないよね」

嫁さんの不満げな声が、背中に突き刺さります。言われてみればそうかもしれません。僕は、人の話はいくらでも聞けるのですが、自分のことを話すのは苦手なのです。その中でも、悩みごとを話すのは、いちばん苦手でした。

嫁:「言いたくないんだったらいいよ。どうせ私に話しても、どうにもならないと思ってるんでしょ」
僕:「そういうわけじゃないよ」
嫁:「だったら言えばいいじゃない」

促されるまま、仕方なく僕はさっきまで考えていたことをポツポツと話し始めました。それは、仕事に関することで、簡単に言うと、“今以上に活躍するためにはどうすればいいか”という内容でした。
しばらく黙って聞いていた嫁さんは、開口一番、こう言いました。

嫁さん:「犬は仕事を通じてなにがしたいわけ?」

こちらが相談を持ちかけたつもりが、逆に質問をされたので、僕は戸惑いました。嫁さんは、僕の話を聞いてエンジンがかかったらしく、答えを待たずに、そのまま話を続けます。

嫁さん:「ただ売れたいとか、お金持ちになりたいとか、そんなつまんない理由で仕事をやってるんだったら、私は犬を軽蔑する。私は、信念を持って仕事をしている人が好きだし、そういう人がこれからの社会に必要な人間だと思ってる。たとえ、うだつがあがらなくたっていい。人のためになにかをやっている人を私は支持する」

こちらが考えている以上のスケールで話を展開されると、もうなにも言い返せなくなってしまいます。僕はしばらく嫁さんの演説を黙って聞くしかありませんでした。

嫁さん:「犬がたとえうだつがあがらなくても、高い理想を持って仕事をしてくれるなら、私はずっと支持し続けるよ。だけど、ただ売れればいいとか、お金を儲ければいいなんて考えで、実際にそうなったとしても、そんなのカッコ悪いよね。そういう人は、どこか傲慢で鼻もちならない人が多いし、私は近寄りたいとも思わない。だから、万が一、犬がそんな人間になってしまったら、私は一緒にいるつもりはないから、それだけは覚えておいてね」

言っていることは、限りなく極論に近い正論だとは思うのですが、なにか引っかかるものを感じます。そして、それがなんなのか考え続けているうちに、嫁さんの演説は最終段階に入りました。

嫁さん:「うだつがあがる、あがらないは関係ない。自分の信念に基づいて行動する犬になってほしい。私の望みはただそれだけ。ほんとうに“うだつ”は関係がないんだから」

「これだ!」原因が分かった僕は、すかさず嫁さんに進言します。

僕:「話は分かったから、人を“うだつがあがらない人”みたいに言うのだけはやめてくれる?」

すると嫁さんは、しばらく考えてからこう言いました。

嫁さん:「“うだつ”ってどういう意味だっけ?」

                      苦難は次回に続きます。

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