長崎へ。後編 | INUUNIQ(イニュニック)

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2011年11月11日始動

遅くなってしまいました。。

後編は念願の軍艦島。

軍艦島は軍の施設だったーとかじゃなくて、
海底炭鉱の島で、見た目が軍艦に見えるから。
正式名称は端島(はしま)。
小さい島だけれど、一時は世界一の人口密度になったこともあるくらい栄えていたよう。
小さい中にも小学校、病院、スーパー、映画館にパチンコ…たくさんの場所。
そして所狭しと建ち並ぶ、団地。

そんな場所は、1974年に閉山して無人島になった。


必ずガイドツアーに申し込みして行かなきゃならないのだけれど
たまたま私たちが申し込んだツアーのガイドのおっちゃんが、
たくさんいるツアーガイドさんの中で唯一の軍艦島で働いていたガイドさんだった。

たくさんの話を聞いたよ。
凄く面白おかしく、そして物悲しく。

採掘するにあたって鉱員は地下に降りて行くわけだけれど、毎日生きて帰れることが喜びだったという。
そう、のべ200人を超える人たちが帰ってこれなかったらしい。


軍艦島ツアーは催行中止になることも多いという。
それは、桟橋などなく、接岸にもかなりのデリケートさが必要なため、悪天候だと船を出せないこと。

とても晴れて海が凪いでいた私たちの一日は、とても貴重だったみたいだ。

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貼り付けれる枚数こえちゃった。
iPhoneからだからきっちりセレクト出来てないので、
また改めてベストショットを探してみるよ。

柵に囲われ、舗装された短い道のり。
廃墟となった建物は脆く危険だから、眺めるだけ。

建物の近くへは進めなかったのだけれど、
あのまま進むことができたなら私は帰ってこれたんだろうか。

島全体が喧騒の時代をそのまま閉じ込めて待っているかのような、そんな不思議な雰囲気がしてた。

朽ちて行くままに、誰の手をも加えず。
人が居なくなった場所はこんなにも"止まっている"なんて。
胸がざわざわした。

だけど、緑がなかったらしい当時から、今は緑に溢れてた。
トンビが空を舞って、寂しくないよと話しかけてるみたいで。
ラピュタのロボット兵士がキツネリスと戯れているような、そんな光景。

あの階段の奥では、今でも子供たちは騒ぎ、泥にまみれた大人たちがそれを洗い落とし、いってらっしゃい、いってきますと、ただいま、おかえり、と、そんな声がするのでしょう。

心霊的な意味じゃなくて、
そう、あの場所の記憶というもの。

とても美しいあの場所、

いつか、奥へと進んでみたい。