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tittle‐tattle~徒然のままに記す

基本的にコラムというか雑文をつらつら書いております。ジャンルは料理やら映画やら小説やらアニメやらゲームやら漫画やら音楽やら料理やら猫やらと、無尽蔵にキリがないので暇つぶしにでもどうぞ。ではでは。

ちなみにそんなに面白くはないです。

「一本で~も ニンロク♪ 二台で~も サンデル♪ 三人で~も 夜と霧♪」と、懐かしのポンキッキのヒットソング『いっぽんでも ニンジン』なわけですが、寝起きにふと頭に浮かんだので書いてみました。歌詞は、ちょっとうろ覚えかな(てへっ)。

歌っていたのはなぎら健壱。今は、フォーク歌手というよりは下町の適当なオヤジ、もしくは『タモリ倶楽部』常連として認知されているのではないだろうか。自分はよく下町の大衆酒場で飲むのだが、偶然にも数回、なぎらし氏と遭遇したことがある。ほんの少しご相伴預かったこともあったりする。さらには母親の親友が経営していたアパートに住んでいたそうで、毎晩酒盛りして怒られてたそうな。らしいといえば、らしいエピソード、というかどの年齢層に向けての情報なのか。

冒頭に記した通り『いっぽんでもニンジン』がふと頭をよぎり連鎖的になぎら健壱を思い出しただけなんだが、この曲が、かの「日本一売れたシングル盤」として有名な子門真人氏の『およげ!たいやきくん』のカップリングだったのは有名な話。さらに印税契約ではなく、買取契約だったため歌唱料の数万円しか子門・なぎら両氏に支払われなかったのも有名な話である。

なぎら氏は、この話をよく笑い話として披露する。それもいい笑顔で。しかし、もし、この契約が買取ではなく印税契約だったならば、氏の元には、それなりの大金が支払われていたことだろう。そうなると、俺が大衆酒場でなぎら氏と会うことはなかったやもしれんなぁなどと思う。
彼がそんな泡銭ごときで生き方の軸をぶらすような人物だとは思えないが、もしかしたら少し違う場所で飲むようになり、少し興味や趣味の方向性も変わり、そして『タモリ倶楽部』の常連にもならなかったのかもなぁ、うんちく王で適当な話を嬉々として披露したりもしなかったのかもしれんなぁ、などと勝手に夢想する。ほんの少しのボタンの掛け違いでいろんなことが少しづつ変わってしまうのは人生にはよくあることだ。
たらればの話は好きではないのだが、『いっぽんでもニンジン』に関しては、買取契約というのが正しかったかと、当人でもないのに書いてみたり。まあ、実際お金もらえなかったなぎら氏にしてみりゃ、たまったものではないのかもしれんが。って、朝からなぜなぎら健壱について書いているのかは俺本人が一番謎だ。

以上。
PS3の『龍が如く5』の体験版をやってみたのだが、まあ、博多がモデルの町並みもものすごく綺麗に再現されているし、街を往く人の動きなどもリアルだ。しかし、ゲームを始めて15分くらい経った時点でやったことは、ゲームセンターで遊ぶ→キャバクラで女の子を口説くのみだ。あんまり、龍な感じがしないのはなぜだろう。

前作もそうだったのだが、龍が如くはサブシークエンスがものすごく充実している。ゲーセン行ったりとか、キャバクラ行ったりとか、要は副次的なイベントが色々盛り沢山なわけだ。それはいいのだが、それを”自由度”というくくりにしてしまっているせいで、ちょっとおかしな、というかすっとぼけたゲームにもなっている。たとえば、前作では、「組長が大変なことに、急いで東京に来てください」みたいな状況でも、普通にゴルフをハーフ回れたりするとかそういう感じ。

体験版をやる限り、基本的には細かい部分の充実に力を入れているのだなぁと思った、と同時に、やっぱりすっとぼけたゲームだなーとも思った。キャバクラで嬢と会話するときの選択肢とか異常な量だしw むしろ、こおゲームでキャバクラ学んで、本当の店に行く若者もいるかもしれんぜ。

作者の人もどんどんリアル龍が如くみたいなルックスになっていってるし、この、なんだかずれたヤクザ世界は終わることはない気がする。個人的には、正直製品版には興味はないものの歌舞伎町だけ行ってみたい。
美麗なグラフィックやらイベント見せますから、その間お前らレベル上げとかしろよゲーは好きじゃないが、『龍が如く』のどこへ向かってるのかわからないトンパチ性はいいと思いまする。
以上。
ネットスラング発信で「リア充」という言葉がある。略さずに言えば「リアルが充実している」という意味だ。

この言葉は、主にいわゆるヲタク系の人やらあんまりモテとは縁遠い人が、カップルや友達が多い人あたりを指して使うことが多いと思われる。たとえば、Twitterなんかで「今日は女友達と飲み会。べつに彼女とかではないです~(笑)」的な書き込みに対して「リア充爆発しろ」と、つぶやくというか呪詛するというかそんな感じで使う。多分。「リア充爆ぜろ」とかも言ってる。とりあえず、”リア充”は破裂しないといかんようだ。

書きだしたものの、よく考えると、俺も言葉の定義は細かくはよく知らん。スマン。が、とりあえず、リア充に敵対心を向ける人は、ヲタク系の人発信だった場合、こういう呪詛を呟きつつ、「俺も彼女がほしい件」とか「二次元でも俺はいい」とかいいなさる。うむ~。なんか変だ。

俺は頭が堅いのやもしれんが、ヲタクと呼ばれる人は凛としていてもらいたい。こういうと何いってんだという風になりそうだが、ようは今過ごしている時間。自分が好きなアニメなり鉄道なりパソコンなりフィギュアなり、なんでも構わない。それが好きな今、その今の瞬間は”リアル”ではないのか? 充実した時間ではないのか、と。言葉遊びのようかも知れないが、本当にどうにも気になって仕方ない。
自分は、ヲタクというかめんどくさいマニアというか、好きな事は流行りとか関係なく、いやむしろ流行っていないものを掘り下げて、一人ご満悦という、気持ち悪い人間だったりする。
ただ、そういう自分の好きな時間こそが、この上なく快感で仕方なく、まさに充実している。彼女がいる時でも、いない時でも、友達と遊びまくってる時期でも、そうじゃなくても変わらない。とにかく自分の好きなことをやってる時だけが、俺にとってはリアルで。そして充実している。まさしく”リア充”だ。

彼女ができたから、フィギュア捨てるとか、アニメのDVD全部売っちゃうとかいう発言を聴くたび、なんだか切なくて苦しくなる。そこにつぎ込んでた情熱や時間はリアルではなく腰掛けでしかなかったのかと。大人になったから、とかそういう言葉でかたづける奴がいたら、そいつはさぞかし”リア充”なんでしょうな、と吐き捨ててやる。

生きてるこの時間こそが現実。だからいま楽しいと思う瞬間は充実しているということを忘れんでくれ、などと無駄なことを呟いたりする。以上。