さて、兎にも角にもインターネット夜明け前から草創期は、みんな、ウガウガでオロオロしていたという話をぼんやりとつらつら書いていたわけだが、90年代なかば当時はパソコンというブツ自体の概念が皆さんよくわかっていない上に、インターネットで世界中の情報をどうのこうのとか言われてもそりゃあ困ってしまうわけだ。俺みたいに、すがやみつる著『こんにちわマイコン』を愛読していた気持ち悪い人ならそれなりに理解できていましょうが、まっとうにガム喰ったり、谷津遊園行ったりしてる人たちはなかなかついて行けませんわな。
そんな弱音を吐いても、時の流れは沢田研二も美空ひばりも関係なしにドンドコ進んでゆくうえ、意外と人は適応力があるようでメールも普通に仕事に私用に普及して、ホームページもヤフーで検索して見る程度は当たり前のくらいにはなってしまいます。セガのドリームキャストというゲーム機でインターネットが出来るように下のも大きいかと書こうかと思ったものの、ドリキャス自体、大して売れてないので大きくないです。今こそ『バーチャロン』をリメイクして出すべきだと思うのだが、いかがか? あと、『クレイジータクシー』。
95年位の頃は、自分自身は駆け出しのフリーライターをしていて、自宅から編集部まで自転車で行ける距離だったのもあり原稿をフロッピーディスクで入稿という当時にしてもアナログすぎる生き様を繰り広げていた。明け方に、チャリをすっ飛ばし編集部に書き立てのフロッピーを立ち漕ぎで持っていったのは懐かしいものだ。本格的にインターネットを始めたのはわりと遅く、97年くらいだったように思う。初めて買ったパソコンが驚くなかれ、キャノン。すごくね? キャノン、パソコン作ってたんだぜ。ファンに犬の毛が詰まってボードが焼けて故障して修理に行ったら、事情がわかった上で無料で直してくれた。キャノンは優しい。
とりあえず、仕事の原稿を送るためにインターネットを始めたものの、まあ、俺も『こんにちわマイコン』と『POPCOM』の愛読者だったので、「いっちょ、ホームページなんぞやってみるか!」と、初めてのホームページ的な本を買ってきて、タグを必死に打ったりして愉快痛快なホームページを作ろうと悪戦苦闘したわけです。GIFアニメとかも取り入れた気がします。がんばり屋さんですな。かわいいですね当時の俺。いや気持ち悪いです。
内容は、今冷静に考えるとよくいえばヒョウキン、わるくいうとキ○ガイ。うーん、なんですかね、色味とか、デザインとか、ちょっと診断とか受けと方がいい感じのヤツなのかなぁ。基本的に文章のコーナーがいくつかある構成です。でも、そのコーナーが勝手に有名人にインタビューしてる対談とか、ない居酒屋の常連の会話とかそういうヤツなので、まあねぇ。それでも、いちおう、食いついてくれる人もいて、掲示板などはそこそこ賑わっておりました。当時は、LINEなぞもちろんなくSNSなんかもないので、掲示板、BBSがコミュニケーションの肝だったのですな。ネットだと掲示板なり今だとLINEの既読がどーのとかもあるけど、いちおう、返事するってのが大事らしいけど、俺は当時から気分でしたい時にする人だったので、掲示板に書き込みがあるのは知ってても2週間位放置してまとめてレスつけたりとかしてた。それでも、サイトに来る人は減らなかったし、むしろらしくてよいと言ってくれてたので問題はなかった。そして、それはサイトをとっくに閉じた今でもそれは変わりはしなかったりする。正直、自分が連絡したら、相手がすぐ返してくれるのが当たり前だという傲慢な連中はどうかしていると思う。LINEとかでそれでモメたりするんでしょ、気が狂っとる。
サイトをいちおう運営してゆく、まあ、運営というほど大それたものではなく、ただ駄文を週に何度かアップしていただけなんだけども。そのうち掲示板にお客さんも増えて、メールアドレスも晒していたので、ファンレター的なものも来るようになった。その中で、同じようにホームページをやっている人からのメールがあり、その人のメールを読んでみてそのサイトに遊びに行ったりして……。
たいして、引っ張ることはないんですが、買い物に行きたいのでこのへんで。続きは後ほどか、明日辺りに。ではでは。
以上。
本日もお日柄もよく、コメントも全くなかったので、流れとしてはインターネットの話の続きでもダラダラ垂れ流す所存であります。別にネットの話なぞ、そもそも昨日の段階で書く気もなかったんだけれども、なんだか勢いだねぇ。だって、ほかに書けることは、自宅で手軽にタイ料理を作るコツあれこれとか俺が斬るアンドレイ・コピュロフの魅力とか『ミネルバトンサーガ』徹底攻略とか、そんなんしかないですよ? いいですか? 書いてもいいけど、正直、読む方はツラいよ? 俺は問題ないが。
はてさて、ではネット話続き。──インターネット草創期。1990年代中盤から後半にかけては、皆さん、とにかくポケベルから携帯電話、インターネットと、めまぐるしく通信手段が進歩した。ダイヤルQ2とかいう石器時代のツールが成立していたウガウガな類人猿どもにいきなりモノリスがド~ンと打ち込まれたようなもんで、急激な進歩に否が応でもボンクラどもはついていかざる得ないわけだわね。
俺は正直、ポケベルは仕事で必要で持つことになったので、数字しか打てないやつを使ってた。その頃はギャルは文字が打てるカックイーのでやりとりしてたさ。程なくして仕事の都合で携帯に変えて、で、ネットも仕事に便利なので始める。ポケベルはギャルが文字やら記号やらガンガン打てる機種使ってる時にようやく数字だけ打てるのを契約して使い出すという遅さだったが、携帯やらネットに関しては一般の人よりは早かったように思う。つーか、そもそもポケベルという単語自体がもう死語もいいところですな。俺も打ってて懐かしいもの。
とりたてて、なに書こうとか考えて書いてるわけじゃないので話がとっちらかっているのはご勘弁願いたい。とにかく、初期のインターネットはみんな手探りでしたよという話。オタクでもない一般人の方々は、インターネットといわれても、メールなんかはポケベルのメッセージや携帯のメールなんかでそれなりに使いこなせてはいたものの、きちんとした意味でのインターネットの概念自体はピンときていないので、テレビや雑誌でホームページという単語が取り上げられるものの、ボンヤリとイマイチ理解しないまま特集なんかのアドレスをカチャカチャ律儀にブラウザに打ち込んでは、サイトをホーッと眺めて感心したりして、「おれ、インターネットやってるなー」とご満悦だったりしてたんじゃないかと、勝手に思う。いや、多分そうじゃないかしら。
さて、ここから、とおもったが、もう今日も疲れたので明日また書こう。てか、なにも話が進んでいないのは気のせいでもなんでもないです、実際進んでないです。明日は、90年代なかばから後半にかけてのテキスト系サイトなどの話でもしようかと思うが、気が向かなかったら別の話をすると思う。もっと気が向かなかったら飲みに行く。では。
以上。
はてさて、ではネット話続き。──インターネット草創期。1990年代中盤から後半にかけては、皆さん、とにかくポケベルから携帯電話、インターネットと、めまぐるしく通信手段が進歩した。ダイヤルQ2とかいう石器時代のツールが成立していたウガウガな類人猿どもにいきなりモノリスがド~ンと打ち込まれたようなもんで、急激な進歩に否が応でもボンクラどもはついていかざる得ないわけだわね。
俺は正直、ポケベルは仕事で必要で持つことになったので、数字しか打てないやつを使ってた。その頃はギャルは文字が打てるカックイーのでやりとりしてたさ。程なくして仕事の都合で携帯に変えて、で、ネットも仕事に便利なので始める。ポケベルはギャルが文字やら記号やらガンガン打てる機種使ってる時にようやく数字だけ打てるのを契約して使い出すという遅さだったが、携帯やらネットに関しては一般の人よりは早かったように思う。つーか、そもそもポケベルという単語自体がもう死語もいいところですな。俺も打ってて懐かしいもの。
とりたてて、なに書こうとか考えて書いてるわけじゃないので話がとっちらかっているのはご勘弁願いたい。とにかく、初期のインターネットはみんな手探りでしたよという話。オタクでもない一般人の方々は、インターネットといわれても、メールなんかはポケベルのメッセージや携帯のメールなんかでそれなりに使いこなせてはいたものの、きちんとした意味でのインターネットの概念自体はピンときていないので、テレビや雑誌でホームページという単語が取り上げられるものの、ボンヤリとイマイチ理解しないまま特集なんかのアドレスをカチャカチャ律儀にブラウザに打ち込んでは、サイトをホーッと眺めて感心したりして、「おれ、インターネットやってるなー」とご満悦だったりしてたんじゃないかと、勝手に思う。いや、多分そうじゃないかしら。
さて、ここから、とおもったが、もう今日も疲れたので明日また書こう。てか、なにも話が進んでいないのは気のせいでもなんでもないです、実際進んでないです。明日は、90年代なかばから後半にかけてのテキスト系サイトなどの話でもしようかと思うが、気が向かなかったら別の話をすると思う。もっと気が向かなかったら飲みに行く。では。
以上。
ものすごく更新していなかった気がするが気のせいだと思うので、気のせいということにしてやっつけようと思うが、それもヒドいので、もし読んでいただいていた方がいたのなら全力で土下座します。申し訳ございません。サボっていたわけではないんです。なまけていたんです。同じですね。あらら。
まあ、昔から、サイトをやっては潰しブログをやってはつぶしは、定例イベントなんで慣れっこなんですがそれもさすがにイカンということで、ちゃんとやります。昔々やっていたサイトなど、最初はお笑いネタなんかのサイトでしたが、最終的にはトム・ハンクス応援サイトになってました。ちなみに特にファンというわけでもありませんでしたなんとなくです。まあ、多分サイト運営自体に行き詰っていたというか、飽きたというか、めんどくさくなったというか、どうでもよくなったというか、やさぐれていたんでしょう。もう十数年前の話です。その頃は、まだ食肉市場にトキやオオサンショウウオが出回っていました。ウソです。つかなくていいやつです。
今の高校生なんかは、物心ついた頃からインターネットが完全に整備された世界で生活しているわけで、音響カプラだとかPC-VANだとかハビタットだとかは、あまり親しんでないのでしょう。まあ、普通に生活していたらたいていの方は30代でも親しみませんし、親しみたくありませんが。いまでこそインターネットは呼吸するほど当たり前のものですが、二十年ほど前になると呼吸できないほど気持ち悪いパソコン通信というブツになります。まあ、電話回線を使ってパソコン同士で通信するわけで、細かな技術は違えどやってることは同じです。ただし、回線がクソ遅いです。画像送るとかちょっとした冒険です。感覚的には、いま、LINEが流行ってる感じで、若者がniftyで草の根ネットでチャットをやってる感じかにゃぁ。違うかにゃぁ? 違うにゃぁ。
とにかく、インターネット夜明け前、ようはwin95以前にパソコンでネットをやってる奴は総じて気持ち悪い扱いだと言って過言じゃない。いや、過言かもしれない。でも、当時、某ア○キーでパソコン雑誌を作っていた友人はパソコン通信で草の根ネットやってて気持ち悪かったから過言ではないと思う。ということで、過言じゃない方向で。
パソコン自体、いじってるのが珍しいという時代だったし、さらにパソコン通信となるとなにが何やらというのが一般人の認識。正直、win95が発売されて、インターネットというものが世界的に広がったころも、ピンときていない人のほうが多かったように思う。コントのようだが電気屋さんで「インターネットください」というお客さんがたまにではなく、続出するレベルなのだから。初めてのメール、初めてのホームページ、とにかく初めてづくし。書店のインターネット関連のコーナーも処女って感じの初々しさだった。俺も一生懸命ホームページ作るのにタグ打ったものだ(遠い目)。
インターネット創世記は、みな夜の23時前になるとPCの電源を入れた。この頃のインターネットは重量制(通信量で課金される)なので、気軽にネットしまくると破産する。しかし、NTTが通信向けに時間制使い放題サービス『テレホーダイ』というものを提供していた。23時から8時に限っては、どれだけネットを使っても値段は固定で使い放題という、いまじゃ当たり前だろうが当時としては神のシステムだったのだ。
23時ピッタリはチケットぴあのごとく繋がりにくいことも多く、やきもきする。つながったところでホームページを見たりチャットやったり、まあ、メールのやり取り程度なのだが。とにかくデータ転送量がいまとは比較にならないほど低く、今一瞬で開けるちょっとした画像一枚見るのに1時間なんてのはザラという通信速度の時代なのです。俺も昼夜逆転して、テレホタイムのは常に接続する生活を送っていたのを覚えている。メールやホームページ、チャット、それに海外のニュースグループ、戦場の写真、イケナイ何かの話などなど愉快に健全にネットをサーフィンして座礁してた。メールフレンド募集とかすげえ初々しく懐かしい響きだな。でも、結局はテクノロジーが進化してLINEだになっただけだわね、それも使う奴が阿呆になったからめんどくさい事案も増えて大変だわな。ゆとりがダメなんてことはいわん、だってそれをしたのはその教育を推進した大人なのだから。でも、それとは別に自分で物事を判断する力をちょいと付けていこう。それは年代とか関係ない、オッサンだってババアだってバカはバカだ。要するに自分で自分を磨くのだ。人のせいにするのはそれからでいい。
とか急に言い出すから勢いで文章叩く人って怖い。まあ、俺ですが。
さて、もうちょい書こうかと思ったものの、もともと、何でネットの話を俺は書いているのか。まあいい。えー、疲れたので一旦休憩します。続きはなにがいいでしょうか。このままネットの話を続けるほうがいいでしょうか? 意見求む。雑ですいません。
以上。
まあ、昔から、サイトをやっては潰しブログをやってはつぶしは、定例イベントなんで慣れっこなんですがそれもさすがにイカンということで、ちゃんとやります。昔々やっていたサイトなど、最初はお笑いネタなんかのサイトでしたが、最終的にはトム・ハンクス応援サイトになってました。ちなみに特にファンというわけでもありませんでしたなんとなくです。まあ、多分サイト運営自体に行き詰っていたというか、飽きたというか、めんどくさくなったというか、どうでもよくなったというか、やさぐれていたんでしょう。もう十数年前の話です。その頃は、まだ食肉市場にトキやオオサンショウウオが出回っていました。ウソです。つかなくていいやつです。
今の高校生なんかは、物心ついた頃からインターネットが完全に整備された世界で生活しているわけで、音響カプラだとかPC-VANだとかハビタットだとかは、あまり親しんでないのでしょう。まあ、普通に生活していたらたいていの方は30代でも親しみませんし、親しみたくありませんが。いまでこそインターネットは呼吸するほど当たり前のものですが、二十年ほど前になると呼吸できないほど気持ち悪いパソコン通信というブツになります。まあ、電話回線を使ってパソコン同士で通信するわけで、細かな技術は違えどやってることは同じです。ただし、回線がクソ遅いです。画像送るとかちょっとした冒険です。感覚的には、いま、LINEが流行ってる感じで、若者がniftyで草の根ネットでチャットをやってる感じかにゃぁ。違うかにゃぁ? 違うにゃぁ。
とにかく、インターネット夜明け前、ようはwin95以前にパソコンでネットをやってる奴は総じて気持ち悪い扱いだと言って過言じゃない。いや、過言かもしれない。でも、当時、某ア○キーでパソコン雑誌を作っていた友人はパソコン通信で草の根ネットやってて気持ち悪かったから過言ではないと思う。ということで、過言じゃない方向で。
パソコン自体、いじってるのが珍しいという時代だったし、さらにパソコン通信となるとなにが何やらというのが一般人の認識。正直、win95が発売されて、インターネットというものが世界的に広がったころも、ピンときていない人のほうが多かったように思う。コントのようだが電気屋さんで「インターネットください」というお客さんがたまにではなく、続出するレベルなのだから。初めてのメール、初めてのホームページ、とにかく初めてづくし。書店のインターネット関連のコーナーも処女って感じの初々しさだった。俺も一生懸命ホームページ作るのにタグ打ったものだ(遠い目)。
インターネット創世記は、みな夜の23時前になるとPCの電源を入れた。この頃のインターネットは重量制(通信量で課金される)なので、気軽にネットしまくると破産する。しかし、NTTが通信向けに時間制使い放題サービス『テレホーダイ』というものを提供していた。23時から8時に限っては、どれだけネットを使っても値段は固定で使い放題という、いまじゃ当たり前だろうが当時としては神のシステムだったのだ。
23時ピッタリはチケットぴあのごとく繋がりにくいことも多く、やきもきする。つながったところでホームページを見たりチャットやったり、まあ、メールのやり取り程度なのだが。とにかくデータ転送量がいまとは比較にならないほど低く、今一瞬で開けるちょっとした画像一枚見るのに1時間なんてのはザラという通信速度の時代なのです。俺も昼夜逆転して、テレホタイムのは常に接続する生活を送っていたのを覚えている。メールやホームページ、チャット、それに海外のニュースグループ、戦場の写真、イケナイ何かの話などなど愉快に健全にネットをサーフィンして座礁してた。メールフレンド募集とかすげえ初々しく懐かしい響きだな。でも、結局はテクノロジーが進化してLINEだになっただけだわね、それも使う奴が阿呆になったからめんどくさい事案も増えて大変だわな。ゆとりがダメなんてことはいわん、だってそれをしたのはその教育を推進した大人なのだから。でも、それとは別に自分で物事を判断する力をちょいと付けていこう。それは年代とか関係ない、オッサンだってババアだってバカはバカだ。要するに自分で自分を磨くのだ。人のせいにするのはそれからでいい。
とか急に言い出すから勢いで文章叩く人って怖い。まあ、俺ですが。
さて、もうちょい書こうかと思ったものの、もともと、何でネットの話を俺は書いているのか。まあいい。えー、疲れたので一旦休憩します。続きはなにがいいでしょうか。このままネットの話を続けるほうがいいでしょうか? 意見求む。雑ですいません。
以上。