ロックの歴史2 | 犬神サアカス團 犬神明オフィシャルブログ「呪ってポン!」Powered by Ameba

ロックの歴史2

第二次世界大戦後、1948年にコロムビアが塩化ビニル製のLPレコードを発売した。その翌年にはRCAビクターがシングルレコードを発売する。これによってレコードというものが安価になり一般家庭にステレオ装置が普及した。

そんな最中、1950年にラジオ番組「ムーン・ドッグ・ロックンロール・ハウス・パーティ」がスタートした。パーソナリティのアラン・フリードはその毒舌とユーモアセンスから若者から絶大な支持を得ていたという。まあ「ビートたけしのオールナイト・ニッポン」みたいなものか。

そのアラン・フリードは黒人音楽マニアだったので番組の中でブルース(R&B)ばかりかけていた。そのおかげでラジオリスナーの若者達はみんな黒人音楽の虜になってしまった。いつしかその黒人音楽を番組名からロックンロールとも呼ぶようになる。

ここで、当時の雰囲気に触れて欲しいんだが、ロックンロールのスタイルを決定づけた曲がある。ジャッキー・ブレストン&ヒズ・デルタ・キャッツの「ロケット88」(1951年)だ。この曲で音楽としてのロックは完成したといっていい。

さてさて困ったのは白人のカントリー(ヒルビリー)歌手たちだ。
レコードは売れなくなるしライブに客が来なくなってしまった。若者は黒人音楽ばかり追いかける。
そこで、生活のためにか1954年にカントリー歌手のビル・ヘイリーはロックンロールを真似して「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を発表した。なんとこれが若者の支持を得ることに成功した。また翌年の1955年、この曲が映画「暴力教室」のテーマに使用され、ロックンロールは不良な若者の音楽として決定的になる。

ちなみに白人のカントリー(ヒルビリー)歌手が演奏したロックンロールは、ヒルビリー+ロックでロカビリーと呼ばれるようになった。

しかし、売れに売れまくったビル・ヘイリーがテレビに出演したら、ただのオッサンだったため多くの若者が失望したという。