1970年のマイルスは超多忙!
フィルモアイーストに劇的な登場を果たした帝王は
その後、ウェストも制覇してフィルモアの顔となる♪
ウェインショーターの脱退は痛いが、
若手イケメンのスティーヴグロスマンをメンバーに加え、
ビジュアル的なウケを狙ったものの、
彼にとって、マイルスバンドに加わるなぞ、10年早い!(本当はもっと早い)
田舎臭い(笑)ショーターがウェザーリポート結成のため脱退した機会を良い事に、
見た目重視で起用したのは果たして成功だったのだろうか?
答えは「あんまり良くない」と出た。
そりゃそうだ。
周りはマイルスが鍛えに鍛え上げた、超一流メンバー、
そう簡単にお仕事が上手く運ぶわけはないのだ。
けど、帝王は我慢する♪
変わりにと言ってはナンだが、
あのキースジャレットをメンバーに迎え入れる。
チックコリアとの夢のダブルキーボード体制だ!!!
こりゃ凄いだろ!
と思うも長続きはせず、
ワイト島ロックフェスティバル(1970.8,29)を最後にチックコリアとデーブホランドの2人が脱退する。
まあ、チックにとって「リターントゥフォーエバー」結成のためではあったのだけど、
短命ながら、コリアとキースの2人のバトルは名盤を生むのである。
それは1970,6,17~20の4日連続の出演、フィルモアイーストでの伝説のライブだ。(下記写真)
(水曜日~土曜日のマイルスとして、あまりに有名)
その後間もなく、グロスマンを首にして、
新しいホーン奏者(ゲーリーバーツ)を迎え入れるのだが、コイツは更にパッとしなかった。
しかし、それがどうした?(So What?)
帝王は増す増す吹きまくる。
それでいいのだ!
かつて、ショーターが遅刻した時の帝王の怒りのプレーは凄まじいものがあったように、
今回もキースと帝王で演りまくるのであります♪
ベースがマイケルヘンダーソンに変わり、
キースジャレット色が増して来るようになると、
演奏曲も「ピッチェズブリュー」中心からだんだん変化していく。
それはキースの台頭とマイケルヘンダーソン起用に起因する。
まず、
キースジャレットだが、キースの才能がこのマイルス時代に開花する。
キースが好き放題に演りまくる「ホンキートンク」は変態キースの真骨頂であり、
この期のインプロヴィゼーションは当時のどのプレーヤーに比しても
異色であったものの、そのレベルは超一級品!
是非、キースの「ホンキートンク」を聞いてほしいのであります^^
(現在の貴公子風プレーを期待してはイケマセン。この頃のキースは変態なのですから。)
また若手のマイケルヘンダーソンはジャズ出身のプレーヤーではない。
もともとファンクミュージックを得意とするプレーヤーの起用は
帝王がよりファンク色を濃くする方向を示唆するものであり、
彼のプレースタイルもシンプルで力強いリズムキーパーの度合いが強くなっている。
マイルスバンドもしだいにファンク系に変化していく。
そしてこのメンバーが基本となって71年まで続くのである。
それは帝王とキースの怒りのバンドなのだ!(笑)
70年後期~71年 帝王怒りのバンド!
マイルスデイビス tp
キースジャレット key
ゲーリーバーツ sax
マイケルヘンダーソン b
ジャックディジョネット ds
(レオンチャンスラー) ds
(アイアートモレイラ、ムトゥーメ) per
※帝王の怒りは73年に「若禿げデーブリーブマン」獲得まで、続くのである。^^;

左: フィルモアイースト1970,6,17~20 4日間のダイジェスト盤。
名盤です♪
右: ご存知「Live Evil」。1970,12,19他 ワシントンDCでのライヴ。(ダイジェスト盤)
変態キースが死ぬほど聞きたいなら完全版『セラードア』6枚組をお勧めします^^;