「真面目に頑張ってたらいいことあんねんなぁ〜』というような言葉をかけられたというエピソードを聞いて
あ!私も同じこと言われたことがあったなぁと。
安定した会社員を辞め、24歳で芸能界へ戻ってきたとき、モデルとしての再スタートも微妙で はてさて何ができるんだろうと不安な毎日を手探りで過ごしていた私に
ニッポン放送のインターネットラジオのレギュラー出演のオーディションの話が舞い込んだんです。
当時 レギュラー0の私は、とにかくそのオーディションに出向き 有楽町のニッポン放送会館の上でオーディションを受けました。
親友とオーストラリア旅行に行く予定をキャンセルして挑んだオーディション。
親友には平謝りしながら挑んだオーディションで運良く受かる事ができ、 ようやくレギュラーの仕事を掴むことができました。
番組名はTokyo After 6 Suono Dolce
月曜から金曜を日替わりでパーソナリティーが変わる番組で
私の出演する月曜日のメインMCは荘口彰久さん!!
喋る事などした事ない私のとんでもないデビューでした。
何人かいるレギュラーアシスタントが週替わりで番組に出るなか、私は結果ズブの素人で、英語も喋れない、さらに音楽も大して詳しくない
さらに、荘口さんの横で ロクに面白い事も言えない!!!
生放送が終わるたび不甲斐ない自分が情けなくて家で1人泣いたりしていました。
そんなコンプレックスと能力不足な事をひしひしと実感しつつ、それでも温かく私を育てようとしてくださるニッポン放送の番組スタッフさんに支えられて
この人たちの為、聴いてくださるリスナーさんの為に
頑張ろう!!と気持ちを奮い立たせたのを覚えています。
当時、毎週月曜日を隔週で担当していたんですが、ある日『TokyoAfter6 Suono Dolce も番組編成の関係で金曜日の2時間に集約されるそうだよ』とマネージャーから話があり、
『あぁ〜ついに、私のレギュラーが終わる日がきたのかぁ、、、』と。
だって当時は、荘口彰久さん、NHK国際局のアナウンサーを務めていたキャサリンさん、中塚武さん、パリスマッチのお二人、光永泰一朗さん、i-depナカムラヒロシさん、オスカーの先輩前川さん敦士さん、美容家の静香ちゃん、ミッツマングローブさんなどなどなど、もう錚々たるメンバーばかりでしたから![笑い泣き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/015.png)
![笑い泣き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/015.png)
SuonoDolceとの思い出を走馬灯のように思い返してたとき『で、毎週金曜日 生放送番組のメインは犬伏になったから』と、、、
『え?!私??!
私ですか?、、、私、まだ東京に居てもいいんですかーーー
嬉し泣』とそれはそれは驚いたのと、またニッポン放送に通える嬉しさで感情爆発したのでした。
![笑い泣き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/015.png)
その時、当時のマネージャーに
『犬伏さぁ、頑張ってたらちゃんと見てくれてんだな!頑張ってたらいいとこあるな!』
って励まされたのがとっても印象的でした。
、、、とはいえ、ラジオパーソナリティーとしては『おまえの伸び代はいつになったら伸びるんだ!』と自分でも思うほど、至らぬ点も多くて
何年たっても無我夢中、がむしゃらに仕事に向かう日々でしたが。
今でもずっと恩を感じるニッポン放送でお世話になった方々。
本当にタレントに対して愛情深い方ばかりで、
仕事を離れた私の徳島での結婚式にまで来て下さり、今でも連絡しあう方ばかりです☺️
うまくいかない事もあるし
頑張っても報われない事もあるけど
『真面目に頑張ってたらいいことある!』って信じて頑張る事って、
この言葉自身が 希望なんですよね。
希望を捨てず、信じて頑張ってると
最後、結果が伴わなくても
学びがあって
支えてくれる人と出会えて
ちゃんと財産になるんだなぁ、腐らず頑張るっていいなぁと思うんです。
頑張ったご褒美って
高価な物やお金じゃなくて
その過程を見届けてくれてる人なんだなぁと実感したエピソードで、
今でも私の中の希望の言葉です☺️
南海キャンディーズ 山里さんの結婚会見を拝見しながらまた初心に返り
大切な希望を捨てず、支えてくれる人たちに報いるような努力しよう!と気持ちを引き締めました❤️