「河岸公園」完成(銚子市)
本日お伝えするのは、地元「銚子市」「利根川」沿いにある「河岸公園」の完成(最終工事終了)です。
最終工事となった「トイレ」と「東側園路」が3月末で完成し、4月に入り全面利用できるようになりました。
「銚子市中央町」の「利根川」岸に「河岸公園」はあります。
既に3分の2は完成していて「市民」の「憩いの場」として活用され、昨秋に行われた「銚子さんま祭り」の会場の一部として使用されていました。
以前ブログでも「河岸公園」を少しばかり紹介しましたが、「坂東太郎」「利根川」一望のビュースポットです。
「河岸公園」は、「銚子市」が「利根川」景観を眺望できるウォーターフロントの拠点として「国」「県」の補助を受け建設していました。
公園全体の広さは約4300平方m。
「園路」や「広場」「ベンチ」「水飲み場」などが設置され、川べりには「板床」の「デッキ」と柵が設けられて「斜張橋」が美しい「新銚子大橋」の「見晴台」になっています。
「園路」沿いには「ローズマリー」などを植えた「花壇」や「コクチナシ」「トベラ」などの「中低木」も植えられています。
夜間の照明として「シンボル照明」や「公園灯」が11基設置。
このほど完成した「トイレ」は、イベント時の多人数使用にも対応できるように男女の個室数の充実のほか「多目的室」も設置してあるそうです。
「利根川」を吹き抜ける風を感じる「河岸公園」にお立ち寄りください。
備考
「河岸公園」近くには「カフェ」や「食事処」もそこそこあるので、まち歩きも楽しいエリアです。
(先(1月21日)のブログで紹介した「カフェ」も参照下さい )
最終工事となった「トイレ」と「東側園路」が3月末で完成し、4月に入り全面利用できるようになりました。
「銚子市中央町」の「利根川」岸に「河岸公園」はあります。
既に3分の2は完成していて「市民」の「憩いの場」として活用され、昨秋に行われた「銚子さんま祭り」の会場の一部として使用されていました。
以前ブログでも「河岸公園」を少しばかり紹介しましたが、「坂東太郎」「利根川」一望のビュースポットです。
「河岸公園」は、「銚子市」が「利根川」景観を眺望できるウォーターフロントの拠点として「国」「県」の補助を受け建設していました。
公園全体の広さは約4300平方m。
「園路」や「広場」「ベンチ」「水飲み場」などが設置され、川べりには「板床」の「デッキ」と柵が設けられて「斜張橋」が美しい「新銚子大橋」の「見晴台」になっています。
「園路」沿いには「ローズマリー」などを植えた「花壇」や「コクチナシ」「トベラ」などの「中低木」も植えられています。
夜間の照明として「シンボル照明」や「公園灯」が11基設置。
このほど完成した「トイレ」は、イベント時の多人数使用にも対応できるように男女の個室数の充実のほか「多目的室」も設置してあるそうです。
「利根川」を吹き抜ける風を感じる「河岸公園」にお立ち寄りください。
備考
「河岸公園」近くには「カフェ」や「食事処」もそこそこあるので、まち歩きも楽しいエリアです。
(先(1月21日)のブログで紹介した「カフェ」も参照下さい )
「椿の海伝説」その2(匝瑳市)
本日二つ目に紹介するのは、近隣市「匝瑳市」に伝わる「椿の海伝説」その2です。
東総に伝わる「逸話」「椿の海伝説」ですが、土地土地で話が少しづつ変わっています。
今回は「匝瑳市」に伝わる「椿の海伝説」を二つ紹介します。
「匝瑳市」に伝わる「椿の海伝説」は以下の二つです。
その一
昔々、大きな「椿の木」があった。
その「椿の木」の樹令は、八十万八十年と言われ、春になって花が咲くと、紅(べに)の花のために、天がまっ赤になり、やがてその花びらが散ると、またそのあたり一面はまっ赤な錦(にしき)をしきつめたようになったと言われている。
この老大木が枯れ果てて、残った根の跡がこの椿湖(つばきのみずうみ)だということだ。
その二
遠い昔、海上(うなかみ)、匝瑳(そうさ)、香取(かとり)の三郡にまたがる枝をもった大きな「椿の木」があった。
この木は、「猿田彦命」(さるだひこのみこと)が国を分ける時に、国境に植えたものだったと伝えられている。
日本の三大木の一つにあげられているだけあって、いつも天上には雲や霞(かすみ)がかかり、昼でも夜のように暗かったそうだ。
「鬼満国(おにまんごく)」の魔王は、日本の国を滅ぼして、自分の国にしようと、この「椿の木」に住みついて長い間狙っていた。
そこで、「海上の国」におった「猿田彦命」は、「香取」の「経津主命(ふつぬしのみこと)」、「鹿島」の「建御雷命(たけみかずちのみこと)」の力をかりて、「魔王」を退治することにした。
早速、「二神」は「魔王」に戦いを挑んで、「天」の「鹿島弓(かしまゆみ)」という力の強い弓に、「天」の「羽々矢(ははや)」という羽の広い大きな矢をつがえ、「魔王」目掛けて「ビューン」、「ビューン」と射った。
不意をつかれた「魔王」は、初め慌てていたが、もともと力の強い奴「ウォー」、「ウォー」と唸(うな)りながら、「椿の木」を抱え込んで揺った。
「わさ、わさ、わさ、わせ」木が動くたびに、天と地が引っくり返りそうに揺れた。
「香取」、「鹿島」の「神様」も負けてはいない。
「天」の「羽々矢」を打ち続けた。
「魔王」は、堪(たま)らず「椿の木」を根こそぎ引っくり返して、「東の海」に飛び去ってしまった。
そして、「椿の木」が抜けた跡に水が溜まり、大きな湖となり、それが「椿の湖」と言われるようになった。
「椿の木」が倒れた方向によって、上の方が「上総(かずさ)」、下の方が「下総(しもうさ)」と呼ばれている。
現在の「旭市」に「矢指(やさし)」という地名があるが、「魔王」を退治した「天」の「羽々矢」が飛んでいった方向だと言われている。
見事に「魔王」を退治した「香取」、「鹿島」の「二神」は、これよりこの地方の「守護神」として崇(あが)められるようになった。
(以上「匝瑳市役所」HPより抜粋)
以上が「匝瑳市」に伝わる「椿の海伝説」です。
東総に伝わる「逸話」「椿の海伝説」ですが、土地土地で話が少しづつ変わっています。
今回は「匝瑳市」に伝わる「椿の海伝説」を二つ紹介します。
「匝瑳市」に伝わる「椿の海伝説」は以下の二つです。
その一
昔々、大きな「椿の木」があった。
その「椿の木」の樹令は、八十万八十年と言われ、春になって花が咲くと、紅(べに)の花のために、天がまっ赤になり、やがてその花びらが散ると、またそのあたり一面はまっ赤な錦(にしき)をしきつめたようになったと言われている。
この老大木が枯れ果てて、残った根の跡がこの椿湖(つばきのみずうみ)だということだ。
その二
遠い昔、海上(うなかみ)、匝瑳(そうさ)、香取(かとり)の三郡にまたがる枝をもった大きな「椿の木」があった。
この木は、「猿田彦命」(さるだひこのみこと)が国を分ける時に、国境に植えたものだったと伝えられている。
日本の三大木の一つにあげられているだけあって、いつも天上には雲や霞(かすみ)がかかり、昼でも夜のように暗かったそうだ。
「鬼満国(おにまんごく)」の魔王は、日本の国を滅ぼして、自分の国にしようと、この「椿の木」に住みついて長い間狙っていた。
そこで、「海上の国」におった「猿田彦命」は、「香取」の「経津主命(ふつぬしのみこと)」、「鹿島」の「建御雷命(たけみかずちのみこと)」の力をかりて、「魔王」を退治することにした。
早速、「二神」は「魔王」に戦いを挑んで、「天」の「鹿島弓(かしまゆみ)」という力の強い弓に、「天」の「羽々矢(ははや)」という羽の広い大きな矢をつがえ、「魔王」目掛けて「ビューン」、「ビューン」と射った。
不意をつかれた「魔王」は、初め慌てていたが、もともと力の強い奴「ウォー」、「ウォー」と唸(うな)りながら、「椿の木」を抱え込んで揺った。
「わさ、わさ、わさ、わせ」木が動くたびに、天と地が引っくり返りそうに揺れた。
「香取」、「鹿島」の「神様」も負けてはいない。
「天」の「羽々矢」を打ち続けた。
「魔王」は、堪(たま)らず「椿の木」を根こそぎ引っくり返して、「東の海」に飛び去ってしまった。
そして、「椿の木」が抜けた跡に水が溜まり、大きな湖となり、それが「椿の湖」と言われるようになった。
「椿の木」が倒れた方向によって、上の方が「上総(かずさ)」、下の方が「下総(しもうさ)」と呼ばれている。
現在の「旭市」に「矢指(やさし)」という地名があるが、「魔王」を退治した「天」の「羽々矢」が飛んでいった方向だと言われている。
見事に「魔王」を退治した「香取」、「鹿島」の「二神」は、これよりこの地方の「守護神」として崇(あが)められるようになった。
(以上「匝瑳市役所」HPより抜粋)
以上が「匝瑳市」に伝わる「椿の海伝説」です。