「旭市観光大使」「第1号」「椎名佐千子さん」(旭市)
本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」で「旭市観光大使」「第1号」「椎名佐千子さん」就任です。
「旭市」は、「千葉県」の「北東部」にある「市」で、「人口」は68681人(男性33628人、女性35053人・6月1日現在)、「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)の「最北端」に面しており、「夏季」には「海水浴客」で賑わいます。
「旭市」は、上記のように「千葉県」「北東部」に位置し、「首都」「東京都」から80km圏、「県庁所在地」「千葉市」から「北東」に約50kmに位置し、「南部」は「九十九里浜」に面し、「北部」に「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)が広がり、「旭市」の「中央部」を「東西」に「JR総武本線」と「国道126号線」が通っています。
「旭市」の「名所」・「旧跡」・「観光スポット」ですが、「大原幽学遺跡」(国の史跡)(2012年11月15日・11月13日・2011年2月6日のブログ参照)、「玉崎神社」(「本殿」、「拝殿」および「狛犬」は「千葉県指定有形文化財」)(2012年1月1日のブログ参照)、「熊野神社」(「神事」の「熊野神社の神楽」は「千葉県指定無形民俗文化財」)(2013年3月16日・2012年3月17日のブログ参照)、「鎌数伊勢大神宮」(「神事」の「鎌数の神楽」は「千葉県指定無形民俗文化財」)(2013年3月25日のブログ参照)、「八坂神社」(「太田のエンヤーホー」は「千葉県指定無形民俗文化財」)(2012年7月23日・2011年7月24日のブログ参照)、「刑部岬」(2012年5月26日のブログ参照)・「飯岡灯台」・「飯岡刑部岬展望館~光と風~」(2011年1月27日のブログ参照)、「屏風ヶ浦(
びょうぶがうら)」(2012年5月20日のブログ参照)、「飯岡漁港」(2012年6月6日のブログ参照)、「飯岡風車群」、「矢指ヶ浦温泉」、「矢指が浦海水浴場」(2012年7月17日のブログ参照)、「飯岡海岸海水浴場」(2012年7月17日のブログ参照)、「長禅寺」(2011年5月18日のブログ参照)、「龍福寺」と「龍福寺の森」(2011年5月5日のブログ参照)、「岩井不動堂」・「キャンプ場」、「東漸寺(とうぜんじ)」(2012年2月28日のブログ参照)、「水神社永代大御神楽」(千葉県指定無形民俗文化財)(2013年1月28日・2012年2月3日のブログ参照)があげられます。
「旭市」の主だった「祭事」・「催事」・「イベント」ですが、「西宮神社例大祭」「とうがらしごぼう」(2013年1月16日・2012年1月15日・2011年1月17日のブログ参照)、「旭市飯岡しおさいマラソン大会」(2013年1月31日・2012年2月3日のブログ参照)、「袋の溜池春のヘラブナ釣り大会」(2013年4月17日・2011年4月15日のブログ参照)、「旭市袋公園桜まつり」(2013年4月6日・2012年3月29日のブログ参照)、「長熊釣堀センター春のヘラブナ釣り大会」(2012年5月4日のブログ参照)、「飯岡海浜花火大会」(2010年7月23日のブログ参照)、「いいおかYOU・遊フェスティバル」(2012年7月24日・2010年7月23日のブログ参照)、「旭砂の彫刻美術展」(2012年7月16日・2013年4月20日のブログ参照)、「旭市七夕市民まつり」(2012
年8月5日・2011年8月5日・2011年7月1日・2010年8月4日のブログ参照)、「袋の溜池秋のヘラブナ釣り大会」(2012年10月26日・2011年10月22日・2010年10月22日のブログ参照)、「秋のヘラブナ釣り大会」(2012年11月1日のブログ参照)、「黒虎相撲」(2012年10月30日・2011年11月1日のブログ参照)、「旭市ふるさとまつり・ひかた」(2012年11月2日・2011年11月3日のブログ参照)、「いきいき旭・産業まつり」(2012年11月6日・2011年10月27日・2010年10月28日のブログ参照)、「海上産業まつり」(2012年11月20日・2011年11月19日・2010年11月21日のブログ参照)が行われています。
この度(たび)「旭市」では、「市」の「魅力」を「全国」に広く「PR」し、「観光」の「振興」を図るため、「旭市出身」で「演歌歌手」として「活躍中」の「椎名佐千子さん」に「旭市観光大使」を委嘱しました。
6月17日(月)に「旭市役所」で行われた「委嘱式」で、「椎名佐千子さん」さ、
「歌を通して、大好きなふるさと旭の魅力をアピールしていきたい」
と「意気込み」を語ったそうです。
「旭市観光大使」「椎名佐千子さん」の「プロフィール」ですが、以下の通りとなっています。
「歌手」「椎名佐千子さん」「プロフィール」
旭市東足洗出身。
旭市立第一中学校から千葉県立銚子高等学校を経て、2002年4月にプロデビュー。
同年(2002年)「御意見無用の人生だ」で「日本レコード大賞」「新人賞」を受賞。
2012年「デビュー10周年」を迎え、「12枚目」の「シングル」「哀しみ桟橋」をリリースし、現在も活躍中です。
栄(は)えある「旭市観光大使」「第1号」に選ばれました「歌手」「椎名佐千子さん」の今後の「活躍」を期待しています。
備考
地元「銚子市」では、「銚子ふるさと大使」「銚子観光大使」(2011年8月28日のブログ参照)が「銚子市」より委嘱されています。
昨年(2012年)には、「銚子観光大使」「西田あい」さんと行く「サンセットクルーズ」(2012年3月21日のブログ参照)などが行われています。
「旭市」は、「千葉県」の「北東部」にある「市」で、「人口」は68681人(男性33628人、女性35053人・6月1日現在)、「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)の「最北端」に面しており、「夏季」には「海水浴客」で賑わいます。
「旭市」は、上記のように「千葉県」「北東部」に位置し、「首都」「東京都」から80km圏、「県庁所在地」「千葉市」から「北東」に約50kmに位置し、「南部」は「九十九里浜」に面し、「北部」に「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)が広がり、「旭市」の「中央部」を「東西」に「JR総武本線」と「国道126号線」が通っています。
「旭市」の「名所」・「旧跡」・「観光スポット」ですが、「大原幽学遺跡」(国の史跡)(2012年11月15日・11月13日・2011年2月6日のブログ参照)、「玉崎神社」(「本殿」、「拝殿」および「狛犬」は「千葉県指定有形文化財」)(2012年1月1日のブログ参照)、「熊野神社」(「神事」の「熊野神社の神楽」は「千葉県指定無形民俗文化財」)(2013年3月16日・2012年3月17日のブログ参照)、「鎌数伊勢大神宮」(「神事」の「鎌数の神楽」は「千葉県指定無形民俗文化財」)(2013年3月25日のブログ参照)、「八坂神社」(「太田のエンヤーホー」は「千葉県指定無形民俗文化財」)(2012年7月23日・2011年7月24日のブログ参照)、「刑部岬」(2012年5月26日のブログ参照)・「飯岡灯台」・「飯岡刑部岬展望館~光と風~」(2011年1月27日のブログ参照)、「屏風ヶ浦(
びょうぶがうら)」(2012年5月20日のブログ参照)、「飯岡漁港」(2012年6月6日のブログ参照)、「飯岡風車群」、「矢指ヶ浦温泉」、「矢指が浦海水浴場」(2012年7月17日のブログ参照)、「飯岡海岸海水浴場」(2012年7月17日のブログ参照)、「長禅寺」(2011年5月18日のブログ参照)、「龍福寺」と「龍福寺の森」(2011年5月5日のブログ参照)、「岩井不動堂」・「キャンプ場」、「東漸寺(とうぜんじ)」(2012年2月28日のブログ参照)、「水神社永代大御神楽」(千葉県指定無形民俗文化財)(2013年1月28日・2012年2月3日のブログ参照)があげられます。
「旭市」の主だった「祭事」・「催事」・「イベント」ですが、「西宮神社例大祭」「とうがらしごぼう」(2013年1月16日・2012年1月15日・2011年1月17日のブログ参照)、「旭市飯岡しおさいマラソン大会」(2013年1月31日・2012年2月3日のブログ参照)、「袋の溜池春のヘラブナ釣り大会」(2013年4月17日・2011年4月15日のブログ参照)、「旭市袋公園桜まつり」(2013年4月6日・2012年3月29日のブログ参照)、「長熊釣堀センター春のヘラブナ釣り大会」(2012年5月4日のブログ参照)、「飯岡海浜花火大会」(2010年7月23日のブログ参照)、「いいおかYOU・遊フェスティバル」(2012年7月24日・2010年7月23日のブログ参照)、「旭砂の彫刻美術展」(2012年7月16日・2013年4月20日のブログ参照)、「旭市七夕市民まつり」(2012
年8月5日・2011年8月5日・2011年7月1日・2010年8月4日のブログ参照)、「袋の溜池秋のヘラブナ釣り大会」(2012年10月26日・2011年10月22日・2010年10月22日のブログ参照)、「秋のヘラブナ釣り大会」(2012年11月1日のブログ参照)、「黒虎相撲」(2012年10月30日・2011年11月1日のブログ参照)、「旭市ふるさとまつり・ひかた」(2012年11月2日・2011年11月3日のブログ参照)、「いきいき旭・産業まつり」(2012年11月6日・2011年10月27日・2010年10月28日のブログ参照)、「海上産業まつり」(2012年11月20日・2011年11月19日・2010年11月21日のブログ参照)が行われています。
この度(たび)「旭市」では、「市」の「魅力」を「全国」に広く「PR」し、「観光」の「振興」を図るため、「旭市出身」で「演歌歌手」として「活躍中」の「椎名佐千子さん」に「旭市観光大使」を委嘱しました。
6月17日(月)に「旭市役所」で行われた「委嘱式」で、「椎名佐千子さん」さ、
「歌を通して、大好きなふるさと旭の魅力をアピールしていきたい」
と「意気込み」を語ったそうです。
「旭市観光大使」「椎名佐千子さん」の「プロフィール」ですが、以下の通りとなっています。
「歌手」「椎名佐千子さん」「プロフィール」
旭市東足洗出身。
旭市立第一中学校から千葉県立銚子高等学校を経て、2002年4月にプロデビュー。
同年(2002年)「御意見無用の人生だ」で「日本レコード大賞」「新人賞」を受賞。
2012年「デビュー10周年」を迎え、「12枚目」の「シングル」「哀しみ桟橋」をリリースし、現在も活躍中です。
栄(は)えある「旭市観光大使」「第1号」に選ばれました「歌手」「椎名佐千子さん」の今後の「活躍」を期待しています。
備考
地元「銚子市」では、「銚子ふるさと大使」「銚子観光大使」(2011年8月28日のブログ参照)が「銚子市」より委嘱されています。
昨年(2012年)には、「銚子観光大使」「西田あい」さんと行く「サンセットクルーズ」(2012年3月21日のブログ参照)などが行われています。
「成田山祇園会(なりたさんぎおんえ)」(成田市)
本日ご案内するのは、近隣市「成田市」「成田山新勝寺」で7月5日(金)~9日(火)の期間開催されます「成田山祇園会(なりたさんぎおんえ)」です。
「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれている「真言宗智山派」の「大本山」で、「関東三大不動」のひとつです。
「成田山新勝寺」は、天慶3年(940年)「寛朝大僧正」によって開基され、以来一千年余りもの「歴史」を持つ「全国有数」の「霊地」でもあります。
「成田山新勝寺」は、「成田山」という「文字通り」「境内一帯」が小高い「山」になっており、「成田山新勝寺」の「シンボル」「大本堂」の「裏手」には鬱蒼(うっそう) と茂る「一帯」があり、こちらが「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)となっています。
「成田山公園」の「開園」は昭和3年で、16万5千平方mという「広大」な「公園」で、「成田山公園」内は「自然」の「起伏」が巧みに取り入れられ、「起伏」に縫って「遊歩道」が整備され、「遊歩道」を散策することができます。
「成田山公園」の「園内」中央に「一の池」、「二の池」、「三の池」の3つの「池」があり、「池」の「周囲」は、「春」は「梅」に「桜」、「初夏」の「新緑」、「秋」の「紅葉」、「冬」の「雪化粧」と「四季折々」の「表情」を見せています。
また「成田山公園」「園内」には「成田山書道美術館」(2011年6月5日のブログ参照)があり、「成田山新勝寺」に隣接して「成田山霊光館」、「成田山仏教図書館」などがあります。
「成田山新勝寺」周辺には「見処」が多く、とても1日では見回れないほどあります。
特に「成田山新勝寺」門前は、「成田山」の「門前町」として昔から栄えており、「JR成田駅前」から「成田山新勝寺」に至る「商店街」が連なる「成田山表参道」には、「創業」100年以上という「貫禄」を見せる「老舗」も数多くあり、「観光客」、「参拝客」が多く集まる「人気スポット」になっています。
「成田山祇園会」は、「成田山新勝寺」の「御本尊」「不動明王」の「本地仏」であり、「成田山新勝寺」「奥之院」に奉安された「大日如来」に、「五穀豊穣」・「万民豊楽」・「所願成就」を祈願する「成田山新勝寺」の「宗教的」な「祭礼」です。
「成田山祇園会」は、毎年7月7日・8日・9日に行われ、「山車」・「屋台」が巡行する「成田祇園祭」()も同日に行われていましたが、平成13年より7日・8日・9日の「3日間」に「直近」となる「金・土・日」の「3日間」に、「成田祇園祭」が開催されています。
今年(2013年)の「平成二十五年成田祇園祭」は、7月5日(金)~7日(日)の「3日間」、「成田山祇園会」は、7月5日(金)~9日(火)の「5日間」にわたって開催されます。
「成田山祇園会」の「期間中」には、「成田山奥之院」の「特別開扉」や「天国之宝剣加持(あまくにのほうけんかじ)」といった、「成田山祇園会」の「期間」に限って執り行われている「行事」があり、数多くの「皆様」が「御参詣」に訪れています。
「成田山祇園会」は、300年もの「歴史」があります。
「成田山祇園会」は、江戸時代には、「成田山」で管理する「湯殿山権現社(ゆどのさんごんげんしゃ)」を中心とする「祭礼」として執り行われていたそうです。
「湯殿山権現社」とは、現在の「JR成田駅」「東口交番」の「脇」にある「権現山」と呼ばれる「広場」の「一角」にある小さな「祠」のことで、遠く「山形県」にある「出羽三山」のひとつである「湯殿山」の「流れ」をくんでいます。
「成田祇園祭」「初日の夜」、「御輿」が「権現社」を「御旅所(おたびしょ)」として一泊した「翌朝」、「御輿」とすべての「山車」・「屋台」が「権現社」に集合して「総踊り」が行われているのは、「成田山祇園会」が古くは「湯殿山」の「祭礼」として執り行われていた「故事」にちなんでいます。
そして、「時代」の「変遷」とともに「大日如来」の「祭礼」へと移り、古くは「大日如来」の「御尊体」を捧持して「各町内」を「渡御(とぎょ)」していました。
今日では、「成田祇園祭」が開催される「3日間」、「大日如来」を「御尊体」とした「成田山」の「御輿」の「渡御」と併せて、「成田山」とその周辺の「9町内」、「合計」10台の「豪華絢爛(ごうかけんらん)」な「山車」・「屋台」が、賑やかな「お囃子」の「音色」や「威勢」の良い「掛け声」とともに、「成田山」へと続く「参道」を中心に巡行します。
「成田祇園祭」の「期間中」、「成田の街」は「お祭りムード一色」に染まり、「若者達」の「掛け声」と「熱気」に包まれます。
「御輿」ですが、「祇園祭」で担がれる「御輿」は、「大日如来」を「御尊体」とした「成田山新勝寺」の「御輿」です。
昔は「門前町」「7ヵ町」持ち回りで「御輿番」となり、「各町内」の「若者」が担いでいました。
しかし「各町内」とも年々「御輿」の「担ぎ手」が不足するようになり、大正9年からは「成田山」の「職員」と「有志」が担ぐようになりました。
「御輿」が練り歩く「順路」を、「御輿」に先立ち「お化粧」をした「警護」の「稚児一行」が巡行します。
翌年「当番町」にあたる「町内」(平成25年は「本町」)がこの「警護番」を担当します。
「小学生」以下の「子供達」が「熨斗目袴(のしめばかま)」に「杖」を持ち、「背中」に「花笠」を背負った「可憐」な「出で立ち」で、「御輿」の「先導役」を務めます。
「熨斗目袴」とは「無地」の「絹」の「布」に、「袖」の先や「腰」のあたりに「格子縞」や「横縞」を織り成した「着物」の「模様」で、江戸時代に流行したと言われています。
現在では、「各町内」によって「稚児」の「衣装」も様々で、「無地」の「袴」に、「町内」の「紋」の入った「着物姿」の「稚児」が多くみられます。
「成田山光明堂」の「裏手」にある「成田山奥之院」は「石壁」に囲まれた「奥行き」11.15m、「高さ」65cm、「幅」1.41mの「洞窟」で、その中に「大日如来」(「不動明王」の「本地仏」)が安置されています。
普段は固く閉ざされた「成田山奥之院」の「扉」ですが、「成田山祇園会」の「期間中」にのみ「扉」が開き、「秘仏」の「大日如来」を拝観することが出来ます。
暗い「祠」の中、「蝋燭」の「灯明」にぼんやりと照らされる「大日如来」は、ゆらめく「炎」の「流れ」に合わせて「お顔」の「表情」が移ろい、「神秘的」な「雰囲気」を感じられます。
「成田山奥之院」では、今年(2013年)は7月5日(金)~9日(火)のあいだ参詣することができ、「天国之宝剣加持」を体験できるそうです。
「成田山奥之院」「特別開扉」と「天国之宝剣加持」は以下の通りとなっています。
「成田山奥之院」「特別開扉」
5日(金) 5時30分~20時00分
6日(土)・7日(日) 5時30分~22時00分
8日(月)・9日(火) 5時30分~16時00分
「天国之宝剣加持」
7月5日(金)~9日(火) 8時00分~16時00分
「日本」を代表する「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれている「名刹」「成田山新勝寺」で行われる「夏」の「宗教的」な「祭礼」「成田山祇園会」。
この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「成田山祇園会」詳細
開催期間 7月5日(金)~9日(火)
開催会場 成田山新勝寺 成田市成田1
問合わせ 成田山新勝寺 0476-22-2111
備考
「成田祇園祭」で実際に担がれる「御輿」は、平時には「成田山奥之院」脇にある「清瀧権現堂(せいりゅうごんげんどう)」の「御輿蔵」に安置されており「成田祇園祭」「開催時」のみ、この「御輿」を拝観することができるそうです。
「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)は、「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれている「真言宗智山派」の「大本山」で、「関東三大不動」のひとつです。
「成田山新勝寺」は、天慶3年(940年)「寛朝大僧正」によって開基され、以来一千年余りもの「歴史」を持つ「全国有数」の「霊地」でもあります。
「成田山新勝寺」は、「成田山」という「文字通り」「境内一帯」が小高い「山」になっており、「成田山新勝寺」の「シンボル」「大本堂」の「裏手」には鬱蒼(うっそう) と茂る「一帯」があり、こちらが「成田山公園」(2011年11月8日・2010年11月12日のブログ参照)となっています。
「成田山公園」の「開園」は昭和3年で、16万5千平方mという「広大」な「公園」で、「成田山公園」内は「自然」の「起伏」が巧みに取り入れられ、「起伏」に縫って「遊歩道」が整備され、「遊歩道」を散策することができます。
「成田山公園」の「園内」中央に「一の池」、「二の池」、「三の池」の3つの「池」があり、「池」の「周囲」は、「春」は「梅」に「桜」、「初夏」の「新緑」、「秋」の「紅葉」、「冬」の「雪化粧」と「四季折々」の「表情」を見せています。
また「成田山公園」「園内」には「成田山書道美術館」(2011年6月5日のブログ参照)があり、「成田山新勝寺」に隣接して「成田山霊光館」、「成田山仏教図書館」などがあります。
「成田山新勝寺」周辺には「見処」が多く、とても1日では見回れないほどあります。
特に「成田山新勝寺」門前は、「成田山」の「門前町」として昔から栄えており、「JR成田駅前」から「成田山新勝寺」に至る「商店街」が連なる「成田山表参道」には、「創業」100年以上という「貫禄」を見せる「老舗」も数多くあり、「観光客」、「参拝客」が多く集まる「人気スポット」になっています。
「成田山祇園会」は、「成田山新勝寺」の「御本尊」「不動明王」の「本地仏」であり、「成田山新勝寺」「奥之院」に奉安された「大日如来」に、「五穀豊穣」・「万民豊楽」・「所願成就」を祈願する「成田山新勝寺」の「宗教的」な「祭礼」です。
「成田山祇園会」は、毎年7月7日・8日・9日に行われ、「山車」・「屋台」が巡行する「成田祇園祭」()も同日に行われていましたが、平成13年より7日・8日・9日の「3日間」に「直近」となる「金・土・日」の「3日間」に、「成田祇園祭」が開催されています。
今年(2013年)の「平成二十五年成田祇園祭」は、7月5日(金)~7日(日)の「3日間」、「成田山祇園会」は、7月5日(金)~9日(火)の「5日間」にわたって開催されます。
「成田山祇園会」の「期間中」には、「成田山奥之院」の「特別開扉」や「天国之宝剣加持(あまくにのほうけんかじ)」といった、「成田山祇園会」の「期間」に限って執り行われている「行事」があり、数多くの「皆様」が「御参詣」に訪れています。
「成田山祇園会」は、300年もの「歴史」があります。
「成田山祇園会」は、江戸時代には、「成田山」で管理する「湯殿山権現社(ゆどのさんごんげんしゃ)」を中心とする「祭礼」として執り行われていたそうです。
「湯殿山権現社」とは、現在の「JR成田駅」「東口交番」の「脇」にある「権現山」と呼ばれる「広場」の「一角」にある小さな「祠」のことで、遠く「山形県」にある「出羽三山」のひとつである「湯殿山」の「流れ」をくんでいます。
「成田祇園祭」「初日の夜」、「御輿」が「権現社」を「御旅所(おたびしょ)」として一泊した「翌朝」、「御輿」とすべての「山車」・「屋台」が「権現社」に集合して「総踊り」が行われているのは、「成田山祇園会」が古くは「湯殿山」の「祭礼」として執り行われていた「故事」にちなんでいます。
そして、「時代」の「変遷」とともに「大日如来」の「祭礼」へと移り、古くは「大日如来」の「御尊体」を捧持して「各町内」を「渡御(とぎょ)」していました。
今日では、「成田祇園祭」が開催される「3日間」、「大日如来」を「御尊体」とした「成田山」の「御輿」の「渡御」と併せて、「成田山」とその周辺の「9町内」、「合計」10台の「豪華絢爛(ごうかけんらん)」な「山車」・「屋台」が、賑やかな「お囃子」の「音色」や「威勢」の良い「掛け声」とともに、「成田山」へと続く「参道」を中心に巡行します。
「成田祇園祭」の「期間中」、「成田の街」は「お祭りムード一色」に染まり、「若者達」の「掛け声」と「熱気」に包まれます。
「御輿」ですが、「祇園祭」で担がれる「御輿」は、「大日如来」を「御尊体」とした「成田山新勝寺」の「御輿」です。
昔は「門前町」「7ヵ町」持ち回りで「御輿番」となり、「各町内」の「若者」が担いでいました。
しかし「各町内」とも年々「御輿」の「担ぎ手」が不足するようになり、大正9年からは「成田山」の「職員」と「有志」が担ぐようになりました。
「御輿」が練り歩く「順路」を、「御輿」に先立ち「お化粧」をした「警護」の「稚児一行」が巡行します。
翌年「当番町」にあたる「町内」(平成25年は「本町」)がこの「警護番」を担当します。
「小学生」以下の「子供達」が「熨斗目袴(のしめばかま)」に「杖」を持ち、「背中」に「花笠」を背負った「可憐」な「出で立ち」で、「御輿」の「先導役」を務めます。
「熨斗目袴」とは「無地」の「絹」の「布」に、「袖」の先や「腰」のあたりに「格子縞」や「横縞」を織り成した「着物」の「模様」で、江戸時代に流行したと言われています。
現在では、「各町内」によって「稚児」の「衣装」も様々で、「無地」の「袴」に、「町内」の「紋」の入った「着物姿」の「稚児」が多くみられます。
「成田山光明堂」の「裏手」にある「成田山奥之院」は「石壁」に囲まれた「奥行き」11.15m、「高さ」65cm、「幅」1.41mの「洞窟」で、その中に「大日如来」(「不動明王」の「本地仏」)が安置されています。
普段は固く閉ざされた「成田山奥之院」の「扉」ですが、「成田山祇園会」の「期間中」にのみ「扉」が開き、「秘仏」の「大日如来」を拝観することが出来ます。
暗い「祠」の中、「蝋燭」の「灯明」にぼんやりと照らされる「大日如来」は、ゆらめく「炎」の「流れ」に合わせて「お顔」の「表情」が移ろい、「神秘的」な「雰囲気」を感じられます。
「成田山奥之院」では、今年(2013年)は7月5日(金)~9日(火)のあいだ参詣することができ、「天国之宝剣加持」を体験できるそうです。
「成田山奥之院」「特別開扉」と「天国之宝剣加持」は以下の通りとなっています。
「成田山奥之院」「特別開扉」
5日(金) 5時30分~20時00分
6日(土)・7日(日) 5時30分~22時00分
8日(月)・9日(火) 5時30分~16時00分
「天国之宝剣加持」
7月5日(金)~9日(火) 8時00分~16時00分
「日本」を代表する「成田のお不動さま」の「愛称」で親しまれている「名刹」「成田山新勝寺」で行われる「夏」の「宗教的」な「祭礼」「成田山祇園会」。
この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「成田山祇園会」詳細
開催期間 7月5日(金)~9日(火)
開催会場 成田山新勝寺 成田市成田1
問合わせ 成田山新勝寺 0476-22-2111
備考
「成田祇園祭」で実際に担がれる「御輿」は、平時には「成田山奥之院」脇にある「清瀧権現堂(せいりゅうごんげんどう)」の「御輿蔵」に安置されており「成田祇園祭」「開催時」のみ、この「御輿」を拝観することができるそうです。
「夏越しの大祓え」(香取市)
本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で6月30日(日)に開催されます「夏越しの大祓え」です。
「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、言わずと知れた「日本屈指の国家鎮護の神様」を祀ってある「神宮」で、「日本全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」です。
「香取神宮」の「主祭神」は「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」で、その「起源」は「神話」に始まり、「国土」を平定した「神」として「皇室」の「崇敬」が篤いことで知られています。
明治時代以前は、「日本全国」に「神宮」の「御称号」を以ていたのは今年(2013年)に「社殿」を造り替える20年に一度の「大祭」「式年遷宮」が行われています「伊勢神宮」、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「香取神宮」のみの「三社」(三宮)であったことからも、「香取神宮」が広く「尊崇」をあつめていたかがわかります。
また江戸時代から「人気」であった「東国三社参り」(2010年10月23日のブログ参照)は、「お伊勢参りのみそぎの三社参り」として篤い「信仰」を集めています。
ちなみに「東国三社」とは、「香取市」の「香取神宮」、「茨城県」「鹿嶋市」の「鹿島神宮」、「茨城県」「神栖市」「息栖(いきす)神社」(2010年11月7日のブログ参照)の「三社」を指します。
「大祓(おおはらえ)」は、6月と12月の「晦日(みそか)」(「新暦」では6月30日と12月31日)に行われる「除災行事」です。
「大祓」は、犯した「罪」や「穢(けが)れ」を除き去るための「祓(はら)え」の「行事」で、6月の「大祓」を「夏越の祓(なごしのはらえ)」、12月の「大祓」を「年越の祓(としこしのはらえ)」といいます。
6月の「大祓」は「夏越神事」、「六月祓」とも呼んでおり、「夏越」は「名越」とも表記し、また「宮くぐり祭」や「輪くぐり祭」とも呼ばれています。
「行事」としての「大祓」ですが、701年(大宝元年)の「大宝律令(たいほうりつりょう)」によって「正式」な「宮中」の「年中行事」に定められました。
この「日」には、「朱雀門」前の「広場」に「親王」、「大臣(おおおみ)」ほか「京(みやこ)」にいる「官僚」が集って「大祓詞」を読み上げ、「国民」の「罪」や「穢れ」を祓ったそうです。
「衣服」を毎日洗濯する「習慣」や「水」などのない時代、半年に一度、「雑菌」の繁殖し易い「夏」を前に新しい物に替える事で「疫病」を予防する「意味」があり、その後「大祓」は、百年ほどは盛大に行われました。
そして「応仁の乱」の頃から行われなくなりましたが、江戸時代(1691年(元禄4年))に再開され、次第に広まりました。
1871年(明治4年)の「太政官布告」にて「明治新政府」により「夏越神事」「六月祓」の「称」の「禁止」と「大宝律令」の「大祓」の「旧儀」の「再興」が命じられ、「全国」の「神社」で行われるようになり、戦後には「夏越神事」「六月祓」の「称」も一部では復活し、現在に至っており、「拾遺和歌集」に「題しらず」「よみ人知らず」として、
「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶといふなり」
と「歌」が載せてあります。
「夏越の祓」では、多くの「神社」で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われます。
これは、「氏子」が「茅草」で作られた「輪の中」を「左まわり」、「右まわり」、「左まわり」と「八の字」に三回通って「穢れ」を祓うものなのだそうです。
「釈日本紀」(卜部兼方 鎌倉時代中期)に引用された「備後国風土紀」「逸文」にある「蘇民将来」「神話」では「茅の輪」を「腰」につけて「災厄」から免れたとされ、「茅」の「旺盛」な「生命力」が「神秘的」な「除災」の「力」を有すると考えられてきました。
また、「茅の輪」の「左右」に設置する「笹竹」に願い事を書いた「短冊」を振下げ、「七夕」に「河川」に流すといった「俗信仰」は、「書き初め」を「どんどん焼き」で焚くと「筆」が上達するといった「行事」と対応しています。
「京都」では「夏越祓」に「水無月」という「和菓子」を食べる「習慣」があり、「水無月」は「白」の「ういろう生地」に「小豆」を乗せ、「三角形」に「包丁」された「菓子」なのだそうです。
「水無月」の「上部」にある「小豆」は「悪霊ばらい」の「意味」があり、「三角」の「形」は「暑気」を払う「氷」を表していると云われています。
「高知県」下では、「夏越祓」のことを「輪抜け様」と呼び、多くの「神社」で「お祭り」か開かれ、「行事」としても最も「重要」な「茅の輪潜り」はもちろん行われていますが、それに併せて「神社」の「参道」に多くの「屋台」が並び、まさに「お祭り」となっているそうです。
「夏越祓」は、「梅雨時期」に当たることから「天気」がぱっとしないことが良くありますが、「輪抜け様」が終わると「夏到来」という「風物詩」でもあります。
尚、「茅の輪」の「カヤ」を引き抜いて持ち帰る「人」が後を絶ちませんが、本来は「罪」や「穢れ」・「災厄」を「カヤ」に移すことで「無病息災」を得る「風習」であって、「カヤ」を持ち帰ることは「他人」の「災厄」を「自宅」に持ち帰ることになるので「茅の輪」の「カヤ」を抜いて持ち帰るのは避けるべきです。
また「奈良県」の「大神神社(おおみわじんじゃ)」では「茅の輪」は「榊」・「杉」・「松」をかかげた「3連」になっており「他」の「神社」で見られる「ひとつの輪」を「左」-「右」-「左周り」ではなく「中」(杉)-「右」(松)-「中」(杉)-「左」(榊)の「順」となっています。
この度(たび)「香取神宮」では「夏越しの大祓え」が行われます。
「夏越しの大祓え」では、上記のように「半年間」の「罪穢れ」を祓う「茅の輪(ちのわ)」を「香取神宮」「拝殿」前に設置されます。
「夏越しの大祓え」は、「紙」で出来た「人型」に「息」を吹きかけ、「体」をぬぐって「罪穢れ」を移し、「代わり」にお祓いしてもらう「儀式」だそうです。
「夏越しの大祓え」の「初穂料」は500円で、「茅の輪守り」をお分けしており、6月30日の「午前中」まで受け付けており、「儀式」は、6月30日の「午後3時」(15時)に斎行するそうです。
「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で行われる「半年間」の「罪穢れ」を祓う「神事」「夏越しの大祓え」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「夏越しの大祓え」詳細
開催日時 6月30日(日) 15時~
開催会場 香取神宮 香取市香取1697
問合わせ 香取神宮 0478-57-3211
備考
「香取市」では、6月30日(日)まで「水郷佐原水生植物園」(2012年4月26日・5月24日のブログ参照)にて「第45回水郷佐原あやめ祭り」(2013年5月31日のブログ参照)が行われており、「香取神宮」の「境内」には「花菖蒲」(2011年5月27日のブログ参照)の「開花情報」を表す「花菖蒲」を展示しています。
「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、言わずと知れた「日本屈指の国家鎮護の神様」を祀ってある「神宮」で、「日本全国」に約400社ある「香取神社」の「総本社」です。
「香取神宮」の「主祭神」は「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」で、その「起源」は「神話」に始まり、「国土」を平定した「神」として「皇室」の「崇敬」が篤いことで知られています。
明治時代以前は、「日本全国」に「神宮」の「御称号」を以ていたのは今年(2013年)に「社殿」を造り替える20年に一度の「大祭」「式年遷宮」が行われています「伊勢神宮」、「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)、「香取神宮」のみの「三社」(三宮)であったことからも、「香取神宮」が広く「尊崇」をあつめていたかがわかります。
また江戸時代から「人気」であった「東国三社参り」(2010年10月23日のブログ参照)は、「お伊勢参りのみそぎの三社参り」として篤い「信仰」を集めています。
ちなみに「東国三社」とは、「香取市」の「香取神宮」、「茨城県」「鹿嶋市」の「鹿島神宮」、「茨城県」「神栖市」「息栖(いきす)神社」(2010年11月7日のブログ参照)の「三社」を指します。
「大祓(おおはらえ)」は、6月と12月の「晦日(みそか)」(「新暦」では6月30日と12月31日)に行われる「除災行事」です。
「大祓」は、犯した「罪」や「穢(けが)れ」を除き去るための「祓(はら)え」の「行事」で、6月の「大祓」を「夏越の祓(なごしのはらえ)」、12月の「大祓」を「年越の祓(としこしのはらえ)」といいます。
6月の「大祓」は「夏越神事」、「六月祓」とも呼んでおり、「夏越」は「名越」とも表記し、また「宮くぐり祭」や「輪くぐり祭」とも呼ばれています。
「行事」としての「大祓」ですが、701年(大宝元年)の「大宝律令(たいほうりつりょう)」によって「正式」な「宮中」の「年中行事」に定められました。
この「日」には、「朱雀門」前の「広場」に「親王」、「大臣(おおおみ)」ほか「京(みやこ)」にいる「官僚」が集って「大祓詞」を読み上げ、「国民」の「罪」や「穢れ」を祓ったそうです。
「衣服」を毎日洗濯する「習慣」や「水」などのない時代、半年に一度、「雑菌」の繁殖し易い「夏」を前に新しい物に替える事で「疫病」を予防する「意味」があり、その後「大祓」は、百年ほどは盛大に行われました。
そして「応仁の乱」の頃から行われなくなりましたが、江戸時代(1691年(元禄4年))に再開され、次第に広まりました。
1871年(明治4年)の「太政官布告」にて「明治新政府」により「夏越神事」「六月祓」の「称」の「禁止」と「大宝律令」の「大祓」の「旧儀」の「再興」が命じられ、「全国」の「神社」で行われるようになり、戦後には「夏越神事」「六月祓」の「称」も一部では復活し、現在に至っており、「拾遺和歌集」に「題しらず」「よみ人知らず」として、
「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶといふなり」
と「歌」が載せてあります。
「夏越の祓」では、多くの「神社」で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われます。
これは、「氏子」が「茅草」で作られた「輪の中」を「左まわり」、「右まわり」、「左まわり」と「八の字」に三回通って「穢れ」を祓うものなのだそうです。
「釈日本紀」(卜部兼方 鎌倉時代中期)に引用された「備後国風土紀」「逸文」にある「蘇民将来」「神話」では「茅の輪」を「腰」につけて「災厄」から免れたとされ、「茅」の「旺盛」な「生命力」が「神秘的」な「除災」の「力」を有すると考えられてきました。
また、「茅の輪」の「左右」に設置する「笹竹」に願い事を書いた「短冊」を振下げ、「七夕」に「河川」に流すといった「俗信仰」は、「書き初め」を「どんどん焼き」で焚くと「筆」が上達するといった「行事」と対応しています。
「京都」では「夏越祓」に「水無月」という「和菓子」を食べる「習慣」があり、「水無月」は「白」の「ういろう生地」に「小豆」を乗せ、「三角形」に「包丁」された「菓子」なのだそうです。
「水無月」の「上部」にある「小豆」は「悪霊ばらい」の「意味」があり、「三角」の「形」は「暑気」を払う「氷」を表していると云われています。
「高知県」下では、「夏越祓」のことを「輪抜け様」と呼び、多くの「神社」で「お祭り」か開かれ、「行事」としても最も「重要」な「茅の輪潜り」はもちろん行われていますが、それに併せて「神社」の「参道」に多くの「屋台」が並び、まさに「お祭り」となっているそうです。
「夏越祓」は、「梅雨時期」に当たることから「天気」がぱっとしないことが良くありますが、「輪抜け様」が終わると「夏到来」という「風物詩」でもあります。
尚、「茅の輪」の「カヤ」を引き抜いて持ち帰る「人」が後を絶ちませんが、本来は「罪」や「穢れ」・「災厄」を「カヤ」に移すことで「無病息災」を得る「風習」であって、「カヤ」を持ち帰ることは「他人」の「災厄」を「自宅」に持ち帰ることになるので「茅の輪」の「カヤ」を抜いて持ち帰るのは避けるべきです。
また「奈良県」の「大神神社(おおみわじんじゃ)」では「茅の輪」は「榊」・「杉」・「松」をかかげた「3連」になっており「他」の「神社」で見られる「ひとつの輪」を「左」-「右」-「左周り」ではなく「中」(杉)-「右」(松)-「中」(杉)-「左」(榊)の「順」となっています。
この度(たび)「香取神宮」では「夏越しの大祓え」が行われます。
「夏越しの大祓え」では、上記のように「半年間」の「罪穢れ」を祓う「茅の輪(ちのわ)」を「香取神宮」「拝殿」前に設置されます。
「夏越しの大祓え」は、「紙」で出来た「人型」に「息」を吹きかけ、「体」をぬぐって「罪穢れ」を移し、「代わり」にお祓いしてもらう「儀式」だそうです。
「夏越しの大祓え」の「初穂料」は500円で、「茅の輪守り」をお分けしており、6月30日の「午前中」まで受け付けており、「儀式」は、6月30日の「午後3時」(15時)に斎行するそうです。
「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で行われる「半年間」の「罪穢れ」を祓う「神事」「夏越しの大祓え」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「夏越しの大祓え」詳細
開催日時 6月30日(日) 15時~
開催会場 香取神宮 香取市香取1697
問合わせ 香取神宮 0478-57-3211
備考
「香取市」では、6月30日(日)まで「水郷佐原水生植物園」(2012年4月26日・5月24日のブログ参照)にて「第45回水郷佐原あやめ祭り」(2013年5月31日のブログ参照)が行われており、「香取神宮」の「境内」には「花菖蒲」(2011年5月27日のブログ参照)の「開花情報」を表す「花菖蒲」を展示しています。









