劇団DULL-COLORED POP 福島三部作「2011:語られたがる言葉たち」観劇、それから | ささのブログ

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もう2ヶ月以上前になってしまったけど今も時折思い出しては震災を思ったりしている。

総じて思うのはこの作品を作ってくれた事に対する感謝。

まだうまくまとめれない気はするけどふと残しておきたくなって。

福島三部作が大阪で上演されている時、私は大阪に居たが行くことが出来なかった。

なんとなく、怖くていけなかった。

いわきに帰ってきて、その日はたまたま仕事が早く終わって、これはやっぱり観に行けって事だと勝手に思って当日券で観に行った。

上演前に震災の話をする事に対する丁寧なアナウンスがあった、ものの
なんとなく雰囲気や美術に緊張した。
失礼ながら来なきゃよかった、帰りたいと思った。

開演してすぐ震災の描写が始まって、分かってはいたけど重く辛い気持ちになり涙が止まらなくなった。
ボロボロしながら目の前を見続けた。

多分少し混乱してしまって気持ちを落ちつけようとしてた時TUFの局内のシーンのカメラにTUFのロゴが確か貼ってあって、
(めっちゃTUFのロゴのクオリティー高いやん…)
っていう謎の突っ込みを自分でしたあたりから落ち着いて劇を観れた。

2011年3月11日と以降の福島をとても丁寧にリアルに描いてた。

自然災害だからとか、そんな事は分かってるけど何かの、誰かのせいにしてないと、何かに逃げないと心が壊れてしまいそうなしんどさ。
怒りや悲しみを誰にぶつけたって仕方なくてそれでも。


作・演の谷賢一さんが被災地に出向いて取材をして劇作したとアフタートークでお話されていてとても納得した。


震災後引っ越し、2年前に帰ってきて色んな人から私も話を伺ったりしたんだけど、本当に色んな意見があって、原発の影響で住めなくなった方達がいわきで暮らしている事を否定するような悲しい意見も聞いた。
「あの人達、国から金もらってパチンコ行ってんだ」
そんな話を聞いたことがあった。
作品中、パチンコを打ちに行く事で紛らわしてる人の描写があってそうだよなぁって思った。

同じ県民なのに、分かり合えない事があるのはなんか、哀しいなと思う。
うーん…未だにうまく言葉にできないけど。

同じ県民なのに放射能の影響を気にして少女にキツイ言葉を投げかけてしまう女性。

どっちの気持ちも痛いほど伝わってきた。

今年の夏、ふと店長が
「やっぱね、いまも子供にはこの辺の海にはねぇ、なんとなくね」
と言葉にしてて、そうだよな、私ももし子供がいたらそう思うもんな。
こぉ言うときに、なんとも言いようも無い気持ちになる。
多分これからも。

目に見えない、今は分からない脅威に対して恐れるのは誰もがそうだと思う。

あー書きながらあれやこれやと思い返して、相変わらず読みにくいなぁ!私のブログはよぉ!


感謝していて。

あれは去年の春前頃。
私の大好きな仙台の劇団が東京で震災の作品を上演する際、
「震災の話をまだしてやがる」
「震災飽食」
「震災をネタに金とってる」
そんな事をSNSで上演前にかかれたと、後に一緒に劇作するその劇団の演出家さんから聞いた。
「そう思う人もいる。多分ネットで書く人は僕らの作品を観に来る事もないんだけどネ。難しいネふふ」
と。
その人と去年今年と震災の話を作品にしたけど、東北人が作るとそう思われる方もいるかもしれなくて、それは仕方なくて悪くなくて、実際に経験してなかったらしょうがないって思ってて。
心無い言葉がよぎっては立ち止まり進めない時期もあった。

でも、「2011:語られたがる言葉たち」を観て失礼な言い方だったら申し訳ないのだが、県外の原発事故に関係ない東京の劇団の谷さんはじめ座組の皆様が本当に真摯に向き合って下さってる姿を観て、ずっと引っかかってたなにかが少し消えたような気がする。

なにが、と聞かれたらうまく言葉には出来ないんだけど、この作品を観て本当に良かったと思うし第一部と第二部を観なかった事を今も後悔している。

当事者じゃないからこそ強く言葉にできる事が多分あってその言葉に私は救われたような気がしてます。

この作品を作ってくださって本当にありがとうございました。
もしいつか谷さんに直接お会いできる機会があったらアフタートークで勇気が出せなくて手を挙げれなかった事を質問できたらいいなぁっていうのが今の私の夢。
そしてその時は直接感謝を伝えれたらなぁと思います。

おわり。