INDEPENDENT:18を振り返って。 | ささのブログ

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まずはご来場のお客様に心から感謝を。
誠にありがとうございました!

緊張したんですが、舞台からお客様を見渡しながら話すとき、とてもあたたかく見守って下さってるように感じて、お客様から力をもらいながらあの場に立っていました。
本当にありがとうございました!

プロデューサーの相内さん、舞監の武吉さん、照明の溝渕さん、音響の須川さん、制作の三坂さん、サポートスタッフの皆様、本当にありがとうございました!
素晴らしいスタッフさん達に囲まれてめっちゃ心強かったですし幸せでした!

自分の備忘録として作品を振り返ります。

いつか震災時の母の話をなんかしらで形にしようと思っていた。

震災後地元福島県いわき市を離れ、色々あって震災関係のテレビや本は数年間避けて過ごしていた。

2年前、ニュースで福島から自主避難した少年が他県で福島県民であるという事でいじめを受けてるニュースを見た。少年は手記に何度も死のうと思ったとしながらも
「震災でいっぱい死んだから辛いけどぼくは生きるときめた」と記している。

いったい私は何から逃げていたのだろうか。
この少年に届く事はないかもしれないけど、しっかり震災と福島と向き合おうとその時決めた。

しかし、中々すぐ行動出来ないまま福島に帰ることになった。

地元に帰って今のサロンに勤め出して。
うちの店長は超ーーー明るい。
今のお店は、元々店長のお祖母様のお家で、震災の時に津波で流されてしまったそうで、
大変でしたねって話をしたら

「そん時、兄貴がばぁちゃんの様子見に行って、もうばぁちゃん避難しててさうふふ、兄貴近くのアパートの屋上に避難したんだけど、車も流されちゃってははは!でもさ、家も車も買えばいいじゃん?物はいつだって買えるんだからさ!命は買えないもんね!」

って話をめっちゃ笑いながらしてて、あと、今のお店には原発事故から被災していわき市に移住されて来たお客様もたくさんいるが、みんな一様に愛犬の話を楽しそうにしてくる。

お客様から震災の話を聞いた訳じゃないからなんかしら抱えていると思うけどそれでも。

笑って生きている人たちが福島にいる。

今なら向き合えるんじゃないかと思って、前身である「ミヤコワスレ(仮)」を書いた。

私事で帰った事もあり、すんなり帰ってきましたーは失礼だし、トライアルは2年前に自分の力不足で通過できなかったのでトライアルに再挑戦する事を決めた。
(やばい字が汚い)
母に当時の話を聞きながら、自分の記憶を思い出しながら。
母は調理師で今でも食育ー食育ー言ってきます。

日常の何気ない言葉と、私のように震災系の話を避けてるお客様がいるかもしれないからそんな方が見た時にショックにならないような本をと。

台本書いたことなんてなかったので、15分の台本書くのに2ヶ月もかかった。
世の作家さんすげぇ…って思った。

これを書いてる途中でミサイルさんの公演を見て、澤野さんにお願いしたいと思い、代表の本田さんに連絡をとり、企画書とお手紙と下手くそな本を12月に送った。 

「ミヤコワスレ(仮)」は「ミヤコワスレナイ」の“母”のシーンだけが書いてあって最後に“娘”が当時を振り返り、今までの事を少し話して、今の話をして終わる流れだった。

3月に福島市で本田さんと澤野さんと直接お話できる機会を作っていただいた。

本田さんも澤野さんも快く引き受けてくださった。
条件が2つ。
○6月〜8月までツアーがある為、本番には行けない
○「ミヤコワスレ(仮)」をベースに一緒に創作させてほしい
それでもよければとの事だった。
澤野さんがやってくれるならどんな条件でもよかった。

この作品がトライアル向きじゃないのは重々承知だったので、稽古初日に澤野さんに好きなように書き換えて下さいと伝えた所、
「確かにトライアル向きじゃありませんが、僕はこの本いいと思いますよ」
と言ってくれた。
そして
「この“母”のシーンの後に今思う事を笹川さんの言葉として言ってもらっていいですか?タイムは今気にしなくていいです。」
ということで、あの形になった。

「笹川さんって関西に住んでて阪神淡路大震災で被災した方と何か話した事ありましたか?あと関西弁話せます?」
という話でパートナーの話をしたところそのまま採用された。結構びっくりした。

澤野さんが構成と私から聞いた話から思った言葉を台本に載せてくださった。
第4稿で台本に「私、笹川未希28歳」って載ってたときはだいぶ驚いたが、より向き合う覚悟をした。

“娘”から“未希”になり
「役者として立つと言う事は最後に考えて、そのまま普段話す感じで立ってください。母の時は全力で役者してください」
という事と一貫して
「内面を大切にして下さい」
という事。
「悲観せず、今そこに在るということをしっかり持ってください」
と言う事。

いつかの稽古で悲しさが出てしまって
「あーーー…ごめんなさい。自分に負けました」
といった時
「勝ち負けではないので大丈夫。悲しさは持っていてください。この作品は福島や日本のいたるところと笹川さん自身も揺れ続けてるって事だと思いますよ。ただ悲しさを出すと笹川さんが損しちゃうのでがんばりましょう!」

この人にお願いして本当に良かったと思った。 

そういえば選曲。
サンボマスターさんの曲なんですが、
「輝きだして走ってく」
「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」
「希望の道」
が、それぞれ、2018年(今)、2005年(引きこもり時)、2011年(震災の年)に発売した曲だった。
偶然だったんだけどなんか縁の様なものを感じた。

…やばい超長くなってしまった。 
本戦では父と祖母も出す事になって、これまでやってきた事と身体性を研究する事が増えた。

やった事ないことをたくさん挑戦させてもらえた。幸せな事だ。
澤野さん本当にありがとうございました!!
途中アドバイスを下さった小濱さんも本当にありがとうございました!
(ラストシーン小濱さんのアドバイスを元に変えました!)

最後に、この作品は脚本のクレジットがない。

台本自体は澤野さんが構成してるのと、母やパートナーや父に聞いた事と、私が今生きてて良かったと思えるのは、これまで支えてくれた人たちのおかげだと思ったから、この作品の脚本は私と出会った全ての人、だと思ったからです。

本当にありがとうございました。

また会う日まで、その時は元気にお会いしましょう。

p.s食育の話してるのに本番中全然食べれなくなった私にうどん作ってくれたパートナーよ。
ありがとね!超おいしかった!