なんかとっても息苦しくて

辛いけど、なんでなのか

ぜんぜん分からない。

考える隙もない。


忙し過ぎる毎日で

微塵も1人時間がない。

立ち止まる時間もない。

浸って泣く時間もない。


どうして辛いのか、

何が悲しいのか、

どうしたいのか、

考える時間もない。


そんな悲痛な叫び声が

文字に込められている、

10年前の40歳だった私が

書いた日記が出て来た。


そのとき子どもたちは

長男 中2

次男 小4

長女 小2

次女 年中


その頃の長男は

私立中学校通い➕外部硬式野球チーム

忙殺されるスケジュール


次男は

少年野球、土日祝に活動や試合


長女は、

踊りのバレーおすましスワンとスポーツのバレー🏐


次女は、

必ず連れて歩かねばならない、または、預け先を用立たないといけない存在だった。


周りに頼ることをしようとせず

子育てを楽しむ余裕なく

がむしゃらに頑張らないと、と

歯を食いしばってた時代だった。



精神病みそうな予感を察知して、

私にしては奮発して

可愛いハワイアンなノートを購入して、

時間無いながらも

数分見つけると

想いを書き出すことをしていた。




その頃の私に、今の私が

声を掛けてあげるとしたら、

こう言う。


「やらないといけない、と思い込んでいるものは、全部自分でやらないといけない訳では無いかもしれない。

やらなくても良い、と割り切れるものもあるかもしれないし、

他の誰かにお願い出来ることもあるかもしれないよ。


全部、全部、自分で背負い込まなくても、いいんだよ。


子どもたちにとって、1番大切なことは

ママの笑顔だよ。

ママが苦しみ悲壮感漂いながら

孤独に頑張ることは、子どもたちも望んでいないよ。


私が子どもの面倒を見ていてあげるから、心が落ち着くまで、気が済むまで、1人になって、静かな場所で癒されて来なよ。


大丈夫だから。


あなたは、やれるから。

あなたは頑丈だから。

私が知ってるから。



弱音を吐いても良いんだよ。」




そう言ってくれる頼れる私が、

あのころ居てくれたら

涙が出るほど癒されただろうな。


自分がして欲しかったこと、

誰か必要とする人に

してあげられたら

それこそ自分を癒すことにも

なりそうね。






出張帰りの夫が今朝

一緒に家の片付けをしていて

休憩タイムに私の話しを聴いてくれた。

これまでにない集中力と

想像力で、目を瞑って、私が

話してる内容をイメージしながら

しっかり聴いてくれた。


思えば、私はずっと、これを

してもらいたかったのだと思う。


いつもはスマホいじくりながらとか、

私の話しをしているのにいつの間にか

夫の話や仕事の話しにすり替わっていたりとか

そんなことばかりで聴いてもらった感が

まるでなかった。


いくら「聞いてるよ」と言われても、

聞いてもらった感がまるでなかったんだ。




思いやりをもって接してもらったら、

自分も家庭のことを思いやれる様な

気がした。


片付けられない女から

卒業することが可能なのかもしれない。






毎日はいてる、整体ショーツ