あれは33年前のこと。

当時の私はJK、華の17歳。

父はバリバリ海外赴任ばかりの頃。


珍しく父が、家族が起きている時間に帰宅し、私はテレビを見ながらギャハギャハ大声で大爆笑していた。

女子高生と言うものは、箸が転げただけでツボって笑う時代だよね?



すると父が突然、

「うるさい!」

と、物凄い剣幕で怒鳴った。



私は状況が読めず(ただ笑ってただけで、なぜそこまで怒ることごあるのか??) 、そのままテレビを見続け、またもや大声で爆笑していた。


すると今度は父がイスから立ち上がり、物凄い剣幕で私に殴りかかってきて、私は咄嗟にトイレに逃げ込もうとした。


そこだけはプライベート空間で安全な場所と思っていた。トイレたるもの。



ところが父は逃げる私を追いかけ、私が閉めようとするトイレの扉をこじ開け、密室の狭い空間でなんら逃げ場もない中、上から私を殴りつけ怒鳴り続けた。



この一件で私は恐怖と怒りで、このあと5年間もの間、父親とは一言も喋らない期間を過ごした。





父は、単身赴任で上海だの深圳だのロスだのあちこち行っていてほとんど我が家には出没しなかったことは幸いだった。



今の私なら、あの当時の父の年齢に近いし

仕事のストレスや負荷が相当にあったのだろう、

とか、疲れ切った仕事後に子どものうるさい声が

鳴り響いたら相当鬱陶しい、と言うのは

容易に理解出来るが、

当時若干JKだった私には全くわからなかった。

なので、全て父のせい、父が悪い、

謝ってももらえない、など

自己中で未熟な考えだった。




若い頃の父は沸点が低く、

割と殴られ怒鳴られていた。

私の偏った記憶ではそうだった。



5年間の父との沈黙がどのようなキッカケで開門されたのかは、また別に書こうと。




とにかく若い頃の父は

「怖い」印象が強かった。


でも今は認知症が進んだ、

温和で優しい心を持ち合わせた爺さん。


私が遊びに行くと、

「自分の家族がいるのにわざわざありがとう」

とかいちいち毎回労ってくる。


言葉は不器用で無口だけど、

母を思いやる気持ちは痛いほどに伝わってくる。



この変貌ぶり。

JK時代の自分に見せてやりたい。

今、見れてるから、いいっか。


結構、何十年か親に対する愚痴不満は

持ち続けていたが、私も半世紀生きて

ようやく、彼らも精一杯生きていたんだ、

良かれを思って。

と言うのが奥底から腑に落ちている。


こんな風に思える様になって、良かった。

随分生きるのがラクになった。



親に対してわだかまりを持ったままだと

結局、本当の意味での自己実現レベルまで

到達しないものかな、と私の勝手な持論。



次はどの山登ろうかな〜。





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