アイデンティティクライシス(identity crisis)は、
自分とは一体何者なんだ!?
ってことが分からなくなって不安になっている状態。
かな。
私はアメリカで生まれ、ニューヨーク郊外に
13才まで住んでいた。日本に来たのは、中1の春。
通っていたのは、現地の普通の公立の小学校で、
白人、黒人、ヒスパニック、カリビアン、アジアン、
様々な人種がいたが、日本人は、その学校には
私と妹だけだった。
アジア人も、コリア人が2、3人いる程度だった。
圧倒的マイノリティ。
なので、校庭などで知らない子どもからは、
Are you Chinese or Korean? と聞かれ、
(そもそもJapaneseという選択肢すらないくらい日本人はレアものだった)
Japaneseと答えると、
What's Japan like?
Do you wear kimonos there?
Samurai, right?!
とか色んな質問をされた。
私は、日本に住んだこともなく、そんなことを聞かれても
私も知らないよ、と思いつつ、日本人の見かけなのに
知らないなんて恥ずかしい、おかしいよな。とも思った。
そこでもちょっとした劣等感。
夏休みが3ヶ月あるので、その間に、日本の祖父母の
家に遊びに行ったことが2、3度あった。
日本は遠くて毎年行けるものではなかった。
当時は直行便もなく、ニューヨークからアラスカ経由で
東京へ入り、成田空港から東京に移動して、
新幹線で岡山まで行き、そこからフェリーに乗って
祖父母の住む、香川県高松市に帰省したものだった。
(今では、羽田空港からNYまで直行便もあるし、羽田から高松まで飛行機で行けるし、瀬戸大橋が出来たのでマリンライナーという列車か車でも四国入り出来ちゃうけどね)
そうやって体験した日本ではみんなが着物を着ていない、
普通の洋服で暮らしていることが分かった。
また、黙っていれば周りのみんなと同じ日本人と思われ、疑われることも、何人?と聞かれる事もなかった。
アメリカで生まれ育ったのに、何人なの?て聞かれる時点でアメリカ人になりきれてない様な気がしちゃって、
自分に劣等感を感じていた。何か、みんなとは違う扱いをされている感が拭えなくて、「みんなと同じ」「属してる感」ってのは、どんなものなんだろう。と密かに憧れを感じていたのかもしれない。
自分の殻にこもりがちだった小学校時代。
私は日本にいくことを切望していた。
両親に何度も話しをし、説得を試みた。
その甲斐があってか、父が日本に転勤することを決意。
今思うと、父がどんな思いでNYに移住し、グリーンカードまで取得したのか。それなのに娘のわがままで日本に来ることに承諾するとは。並大抵の思いではなかったはず。
晴れて日本に来た私は、やっと日本人の仲間入りが出来る!
と意気込んでいた。
でも、完璧な日本語が喋れず、英語がポロリと出ちゃった瞬間、「何、自慢してる〜」「アメリカ人」とか言われて、はたまた無口になりかけた。
なんとか、英語が出てしまわないように必死で、自信がある時以外はなるべく喋らないようにしたり、気を使ってばかりで中学校時代は闇の時代だった。
先生が黒板に書いた文字は、ノートに書き写し終わる前に
消されてしまうし、漢字も書けないし、散々だった。
成績は英語は5だったが、その他はオール2だった。
毎週土曜日に日本人学校に行っておいて心底よかったが、それでも日本語力が足りなさ過ぎた。
アメリカで生まれ育ったのに、そこで「日本人」と言われ、
日本に来たら来たで、きちんとした日本語が喋れずに
「アメリカ人」と言われ、
私は一体何者なんだ!?
どこに属すの??
どこにも属すところはないの???
私は何人なの????
とアイデンティティクライシスに陥っていた。
親が進路について積極的に調べたりするタイプではなく、
中学校3年生の時の担任の先生が、私にぴったりの高校を
探してきてくれた。
ああ、その頬が赤くて四角い顔をした先生にお礼がしたい。
先生が探してきてくれたその高校では、ちょうど翌年から
「帰国子女クラス」というのが立ち上がるとのことで、
その高校へ行けば、私と同じような処遇の子たちと、
同じようなレベルで英語の勉強が出来るとのこと。
英語と数学で指定校推薦だったし、学力的にも、数学さえ頑張れば行けるというところで、もうそこ以外に
行き場所はなかった。
その高校は、中学と比べて、天国のような環境だった。
そこでも帰国子女歴は、私がダントツ長くて、
帰国子女と言っても、4、5年行ってただけ、という子が
大半だった。でも、公立の中学校と違ったのは、彼らの
英語に対する姿勢。
私は日本語ができなくてからかわれる存在ではなく、
英語が一番出来る神のように扱われ、クラスメイトは、
みんな、「教えて」という姿勢で私に接してきた。
真剣に海外に進出するつもりで英語をガチで勉強しにきてるメンバーだった。
薔薇色の高校生活だった。
その高校で日本語力だけでなく英語力も更に磨いた私は、
唯一の武器の英語を利用して大学に入った。
その学部では、私みたいな中途半端な日本人や外人ばかりだった。授業は全て英語で行われた。(日本語の授業以外)
高校と大学で、自分と同じような経験をしている子たちが
沢山いることを知り、心が少しは休まったが、「自分の居場所」については、どこなんだかはっきりしないままだった。
宙ぶらりんな人が自分以外に沢山いる事は分かったが、なんだかまだ宙ぶらりんな感じだった。
そんな自分は、「ハワイ」のような存在なのでは?!
と思ったりして、ハワイなら悪い気がしないな。と思った。
ハワイは、アメリカだが、本土ではない。アメリカなのに
日本人が大半を占める。日本語も英語もどっちも通じる。
そんな中途半端な、不思議な場所。
その中途半端なmix度合いが、自分とかぶっていると思った。
ハワイに行きたいな〜、と思い、バイト代貯めてハワイ旅行したりもした。
社会人を経験して数年経つと、久しぶりに会った学生時代の
友達から、「日本語が上達した!!」と言われた。
でも、初対面の人から、「もしかして、帰国子女?」と
言われ続けていた。
それを疑われた瞬間、「あなたは生粋の日本人ではない」「私たちとは違う」という態度になって、なんか扱いが違うような気がしていた。(私の自意識過剰だったのかもしれないが)
そこで私が目指したのは:
初対面の人からも完全に日本人としか思われない、帰国子女だなんて微塵も疑われないようになる事!
だった。
英語が混じりそうになると一旦黙り、日本語を一生懸命探してから言葉を発する。ということを繰り返した。
そして、40才過ぎたある日、突然に、自分がそうなっているということに気がついた!
初対面のママ友との会話も普通の日本人風に出来ちゃってる自分に気付いた! 疑われてない!仲間と思われた!
夢がまた叶った!
と内心大喜びした。
私は完全なる日本人。
普通の日本カルチャーに、日本人として受け入れられ、溶け込んでいる。
40才超えて、identity crisisとも完全におさらば出来たのだと実感した。
40才を過ぎて気付くことが多くて、悩める若い頃よりも、
色んなことが明らかになってくる40代以降の方が、
自信を持って人生楽しめてる気がする。
「若いうちに苦労しておくと良い」っていうのは、
こういうことなのか?
どんな苦労や苦しみも無駄にはならない、
むしろ肥やしになるんだ。
まあ、もう46になったので人生半分くらい終わったのかな。そんなに長い生きするかどうかも保証は無いが、
これからは何があってもあんまり怖いものは無い。
そんな気がしている。
I can go on with my life, being more sure of myself, and who I am.
最近、幸福感が沢山感じられる。