私のおばあちゃんは、おじいちゃんが亡くなってから98歳まで一人暮らしをしていた。
いつも、チャキチャキと動きっぱなしで、遊びに行くと、座っているのを見たことがなかった。
いつも、台所と居間を行き来して、来客の飲み物や食べ物がなくなる前にすぐに補充した。
転倒して骨折してからホームに入り、100歳の誕生会には病院でささやかなパーティを開いてくれたので、私もそこに駆けつけた。
その暮れに誤嚥性肺炎で点滴生活スタート。
お医者さんには何度も何度も「覚悟してください」と言われ続けるも、奇跡の復活を繰り返していた。
通常は、その状態で発熱したり風邪を引いたりするとそのまま炎症をストップさせることができず亡くなることが多いらしいが、おばあちゃんはなぜか回復を繰り返した。
不死身なんじゃないのか?? とさえ思った。
点滴だけで3年弱生きたおばあちゃん。ついに血管がもろくなり、点滴が入れられなくなった。
小林真央ちゃんみたいに、鎖骨に点滴ポートを入れてそこから点滴を流し込む方法をお医者さんは紹介してくれたが、母&叔母たちは、そういった延命措置は、おばあちゃんも希望しない、ということで、手術は行わなかった。
おばあちゃんが亡くなった日(2017/9/17土 5:39)、高松に台風が直撃した。
私の母は6:30に叔母から連絡もらってから30分以内に自宅を出て空港に行ったから、ギリギリ飛んでいけたが、そのあの便は全て欠航。
東京に住んでいる叔母は新幹線で向かったが、岡山から出ているマリンライナーが止まっていてなんと岡山から高松までタクシーで行ったそうだ。
母が私に知らせをくれたのがお昼だったから、その頃には飛行機も新幹線もダメだった。
6人で行くには旅費もかかりすぎるし、車で行くしかない。
告別式では、従姉妹が最後の挨拶をした。
おばあちゃんはいつもいつも、どんな当たり前で些細なことにも感謝の気持ちを持っていたこと。
「こんな歳になるまでこうして生活できていること、ありがたいわぁ」と話していたこと。
また、人生のほとんどが周りの人の面倒を見ることだったおばあちゃんも、最後の数年間だけは、やっと人のお世話になって、私たちにお世話することを体験させてくれたこと。
103歳まで生きて、私たちの自慢のおばあちゃん。
「私にもおばあちゃんの血が流れていると思うと、この先何が起こっても大丈夫!と思える。」by従姉妹
いつもは気丈でしっかり者の従姉妹も泣きながら、でもしっかりとお話をしてくれた。
感動。
おばあちゃんは、戦争中に子育てをした。
私が赤ちゃんを連れて遊びに行った時に教えてくれたことがあった。
何もない時代でも、おばあちゃんは母乳が溢れるほど出たらしく、母乳が出ないお母さんが多かったから、いろんな赤ちゃんにおっぱいを飲ませてあげたんだ、と。
今の時代は、ミルクなどあるけど、当時は母乳が出なかったら赤ちゃんに飲ませるものは無くて、それで亡くなる赤ちゃんも多かった。
私が4人の子どもをほぼ完全母乳で育てられたのも、おばあちゃんのおかげなのかもしれない。
高松へ向かう、行きは台風の中、横風と大雨で運転が怖かったが、おばあちゃんが守ってくれている気がした。
自宅に帰ってきて、もうおばあちゃんはこの世に居ないんだ、と思うと涙が溢れてきて仕方がなかった。
何があっても死なないと思ってしまっていた。生きているのが当たり前と思ってしまっていた。
「私たちにもおばあちゃんの血が流れているんだね。」
ボソッと言うと、近くで麦茶を汲みに来た長男が背中を向けたまま「うん」と言った。
従姉妹の挨拶の言葉、長男にも届いたはず。
おばあちゃんは、その生きざまで娘たちや孫の私たち、そして曽孫をもずっと勇気付けてくれ続ける。
改めて、すごいなぁ。 そんな存在であることって。本当にすごい。