7月末に、義父が亡くなりました。

年に数回会う程度だった私でさえ、寂しいと感じるのに、何年も2人で力を合わせて暮らしてきた
義母はどれだけの喪失感なのだろうか。

7月初旬に入院した時には、検査入院のはずだった。

最初の症状は改善したが、退院前の検査で、痰に血が混じっていて、更なる検査のために
入院が伸びた。

もともと、肺気腫と間質性肺炎をわずらっていたが、入院中に急激に肺の機能が落ちた。
呼吸するのがとても苦しくて辛そうだった。

危篤の連絡をいただいてから、できるだけ毎日お見舞いに行ったが、一週間後に亡くなった。

もともと肺気腫と言われた時点で寿命が数年とか数ヶ月とか言われていたそうで、
ある程度覚悟が出来ていたものの、まさかここでこのような形で、早まるとは。。
でも、危篤になって数日は話すことも出来たし、亡くなる前日も、義母の言葉に頷き、
目を開いて、手を握り返すことも出来た。

私が病院に到着した時には息を引き取った数分後だったが、義母はしっかりと最後を
看取ることができた。二人だけの大切な時間を邪魔することなく、良かったのかもしれない。

ずっと、亡くなったことが信じられないような、夢であって欲しいような、変な感覚だった。

お葬式の手配や、参列、手伝い、とても悲しくストレスフルだった。

四十九日までは現世と来世の間をさまよっていて、四十九日の日に、
天国に行くのか地獄に行くのか裁かれるのだということを知った。

そして、今回はまだ仏様になっていないので、お盆は、来年が新盆なのだそうだ。

仏教にも色んな宗派があることも知ったし、お線香の上げ方なども、宗派によって異なる事も知った。

亡くなってから四十九日までは喪中期間。
今は悲しんでいて良い期間。

義母の悲しみは癒えることは無いだろうが、毎日少しずつ、少しずつ、

この世に体はもう無いが、心の中にはずっと居続けてくれている、ということを
実感するようになれるのだろうか。

私にはまだ想像することのできない世界。

お墓をどうすればいいのか、とか、無知なことばかり。