【立憲主義と法の支配を貫徹するため、安保法制に対する反対運動を、いっそう強化・拡大すべきことについて】

安倍政権は、衆議院に続き、参議院でも強行採決を行い、安保法制を「形式上」成立させました。今後、安倍政権の支持率は地に堕ちるでしょう。

支持率低下にもかかわらず、安倍政権は、直ちに集団的自衛権および後方支援を実行に移すことが予想されます。既成事実を作るためです。ジブチへの自衛隊増派などが考えられます。日本に対するテロの危険が高まります。

仮に形式的に安保法案が可決されても、安保法制は違憲立法である以上無効です。このため、たとえ可決されても安保法制には全く効力が生じません。国会の多数が違憲の立法に賛成しても、それが合憲になることはありません。違憲の立法は存在しないのと同じです。それが立憲主義です。

したがって、野党および国民は、安保法制に基づく、自衛隊の派遣・作戦行動の全てに反対すべきです。野党および国民は、安保法制に基づく予算要求の全てに反対すべきです。

違憲立法を許せば、次は、国家安全保障を名目とした基本的人権の制約が始まります。立憲主義が崩れれば、次は、国民の基本的人権が失われます。立憲主義を支え、民主主義を支えるのは、ひとりひとりの国民の決意です。

どんな安全保障政策も法律も、国民の支持がなければ機能しません。今後、違憲の安保法制に反対する運動を、さらに強化し、拡大すべきです。民主主義の諸原則・諸制度をフルに活用して、反対運動を、いっそう強化・拡大することが必要です。

たとえば、以下のような行動が考えられます。

(1) 政府の説明責任という民主主義の原則に基づき、野党は、安保法制に基づく自衛隊の派遣・作戦行動に関し、国会において、徹底的な情報開示を要求すべきです。

(2) 司法の独立という民主主義の原則に基づき、野党および国民は、安保法制に基づく具体的措置が行われた場合、直ちに違憲訴訟を提起すべきです。

最高裁判例では、いわゆる統治行為論が採用され、国家安全保障にかかる事項については、司法は判断を控え、政治的部門にその解決を委ねるとされています。しかしながら、最高裁は、統治行為論の下においても、無限定に政府が解釈改憲して良いとは判断していません。

憲法に憲法改正手続きが規定されている以上、条文の趣旨を逸脱し、条文変更に相当する内容については、改正手続きを経る必要があることは自明です。集団的自衛権の容認は、憲法9条に明らかに反するものであり、許される解釈の範囲を超えるものです。

(3) 地方主権という民主主義の原則に基づき、地方議会は、違憲の安保法制、並びに、違憲の安保法制による自衛隊の派遣・作戦行動実施への反対決議を行うべきです。

(4) 立憲主義と法の支配を貫徹するため、自衛隊員を含む国民は、安保法制に基づく自衛隊の派遣・作戦行動に対し、あらゆるレベルでの不服従運動を実行することが考えられます。仮に政府が処罰した場合、刑事訴訟手続において、安保法制違憲の抗弁を提出することが考えられます。

(5) 立憲主義と法の支配を貫徹するため、野党および国民は、安倍政権の憲法破壊行為に対する政治的責任・刑事的責任を追求すべきです。

(6) 立憲主義と法の支配を貫徹するため、野党および国民は、憲法破壊行為を行った政党から政党資格を剥奪することを内容とする政党法を提案すべきです。

(7) 立憲主義と法の支配を貫徹するため、野党は、違憲の安保法制を廃棄することを公約とし、次期参議院選挙および衆議院選挙を戦うべきです。

(8) 野党は、軍事に偏重した与党政権の安全保障政策を批判し、外交を優先させた本来あるべき安全保障政策を対置すべきです。

(9) 自由で公正な選挙という民主主義の原則に基づき、国民は、違憲立法に賛成した与党議員に対する落選運動を実行することが考えられます。その際、安保法案反対の抗議活動に参加された全国各地のみなさんが、そのまま落選運動の中核となることが考えられます。

(10) 野党は、違憲の安保法制に歓迎の意を表明した各国政府に対し、日本の立憲主義を損なうものであるとし、遺憾の意を通知すべきです。


安倍政権により破壊された憲法秩序を回復することが、国民の責任です。そして、それが国民自身の権利と自由を守ることにつながります。さもなければ、日本国民のみなさんの権利と自由は抑圧され、日本は再び戦争の惨禍にみまわれるでしょう。


註記: 上記の見解は、私個人のものであり、いかなる団体あるいは政党の見解をも反映するものではありません。